<自由意志論1>

制作日:2004年8月23日


<総論>
2004年夏学期に開講された、自由意志について考える講義の最終評価レポー
ト。哲学論文にようやく骨のある内容があらわれてきたと言えるのが本レポー
トではないかと思う。レポート前半が講義の纏め、後半が独自の因果論。教官
の評価は90点で、(配布中にチラリと他のレポートも見てしまったのだが)
80点や85点という評価が多かったところを見ると、比較的高い評価を受けた
ようである。教官の総評は下記。

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たいへんよく書けています。講義のまとめも明快ですし、自由意志論も鋭い
論点を含んでいます。1つ注文を付けるとすれば、自由意志を原理的には否
定しつつ、実践的にはそれを許容するとき、自由な行為とそうでない行為の
実践的な区別をどうつけるかを明らかにする課題が生じますが、この課題へ
の言及がほしいところです。
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このコメントが指摘する「課題」については、レポート末尾に書いた「その
時々に、できるだけ納得できる形で解決を与える事になろう。恐らく、そも
そも自由意志の存在を紛う事無き形で論証し、それを前提に論を立てるなど
と言う試みは怠慢なのであろう。我々は常にきれいに片づかない問題に取り
組んで行かねばならないのだ」という記述がひとつのコメントになっている
と思うが、もう少し深化がほしい、といったところか。今後明確化すべき課
題である。
またレポート第2部の最後から二つめ「名付け難い連続体である」で終わる
段落には「なかなか興味深い因果観です」とコメントが付されていた。

<内容について>
(1) 決定論に対する両立主義の挑戦
については記号論理学を多用しているため、慣れない方には読みづらいこと
と思う。言いたい事は「決定論の否定は難しい」というだけのことであるか
ら、「うん確かに難しそうだ」と思える方は、敢えて読まなくても良い。
(2) 両立主義の自由意志論とその困難
については、講義内容の解釈にかなりのオリジナリティが含まれる。私独自
の考えが含まれていると言える。
最後の「講義終盤に示された疑問」というのは、教官の口から思わず漏れた
ものであり、多くの学生は聞き流したのではないかと考えるが、なかなか深
い指摘であると思う。例えば「私は自分の意志で溺れている人を助けた」と
いう場合、「溺れる人を助けない選択も有り得た」「しかし私には溺れる人
を見殺しにするような真似はできないのだ」という二つの内容が含まれる。
「溺れる人を助けない選択も有り得た」が否定されたら、私は助けるより他
しょうがないから助けたのであって、偉くも何ともない。「私には溺れる人
を見殺しにするような真似はできない」が否定されれば、まぁ助けなくって
も良かったんだけど、あの時はなぜか助けちゃって、なんでかなぁ……と、
やはり褒められたものではない話になってしまう。この物語で彼が「自由意
志に基づき善行を行った」と賞賛されるためには、「助けることは必然的で
はなかったのだが、しかし彼としては助けることは必然だった」という、必
然なのか必然でないのか分からない話になってしまう。
これを回避するためには、行為者(A君としよう)と行為者以外の環境(A
君を取り囲む状況)とを厳然と区別する「断絶線」を引き、自己と自己以外
を明確に確定することが必要になる。環境に着目すれば、彼は溺れている人
を見殺しにする事もできた。しかし、「断絶線」を跨いでA君の心の中に
入ってみると、そこには義心と博愛が燃えたぎっており、もう救わずにはい
られないようになっていました、というわけである。「断絶線」の内側が
「A君そのもの」であり、断絶線の外側は「A君以外」である。「A君以外」
が「見殺しOK」なので、ここにいたのがA君ではないO君だったら、溺れ
ている人は見殺しにされてしまった。A君だから助かったのだ。A君は偉い、
という論法になる。
しかし、決定論とは、この「断絶線」の内も外も、同じ自然法則の支配下に
あるとする主張である。さらに言えば、「断絶線」などというものは存在し
ないとする主張である。その内も外も、自然現象の集合体に過ぎないとする
説である。自由意志を擁護する立場は、正面から決定論の攻撃を受け、背面
は「講義終盤に示された疑問」に包囲され、そのどちらかを撃破しなければ
活路は無いという状況に追い込まれているのである。

なお第2部「ここで論点を変えて、二つの方向から自由意志論について考え
よう」以下の部分で、「自由意志と行動の関係」を「因果」関係の一種と捉
えているらしい発言があるが、行為とその理由が、原因と結果のような関係
かどうかについては、議論があると後に知った。しかし、その事によって私
の議論が影響を受けるとは考えにくい。「全ての因果概念」という語を「原
因と結果、行為と理由など、全て二現象間に見出される関係を指示する概念」
とでも差しかえれば済む話だ。

最後の結論部は、やや情緒的に近代の悲劇のようなものを主張して終わっている。


<もくじ>

  1. 講義のまとめ
  2. 自由意志論


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