<Phichoとは何者か?>
![]() |
1982年、工業デザイナーの父と専業主婦の母の間に次男として誕生。 別段特殊な経歴もないまま2001年春、東京大学入学。 中学・高校と美術部・文芸部に在籍。美術部部長他を歴任。 読書量が学問を志す学生としては極めて少ないのがコンプレックス。 2002年春よりジョギングの習慣を身につけて肉体派へ転向の兆し。 今は太極拳がフェバリットらしい。 |
ハンドルネーム | Phicho (「フィコ」または「ファイコ」『Φ子』とも) |
性別 | 男 |
フィジカルデータ | 身長は170±1cm。太極拳で5cm伸びることを期待してたり。 体重58±1kgのつもりだったが、多忙で5kg減っちゃったり。 髪も眼もやや明るいが、ほぼ黒。染めません。乱視で近視。 2003年秋にBOZEにした頭も、すっかり生え代わった。 2004年、12時間耐久走で75km踏破。 |
友人の評 | リーダーとしては凡庸だが副官としてはなかなか。 金は稼げない。学者になるべき。 結論を急ぎすぎる。人生に結論を下すのは早すぎないか? 一見しっかりしているのに、中身は天然ボケ。 ストーリーを綜合するジャーナリスティックな才能はある。 |
興味・専門 | 以前は「専門に囚われず何でも考察する」という意味で 分かりやすいように「専門は哲学」と称していた。 今は消費社会学・社会経済学と言われる分野に興味を持ち、 因果論・自由意志論・言語の問題など哲学の問題から、政治 経済・社会の問題に論をつなぐことを考えている。 実のところを言うと、学者というより、周囲の者すべてを 幸福にする「賢者」になりたかったのだ。それが無理なら、 周囲のいくらかの者を感動させる「芸術家」になりたいとも 思っている。 が、目下実際にやっているのは、小賢しい「学生」である。 |
思想の傾向 | 基本的に相対主義的で虚無主義的だが、実践的に 相対主義にはまっているけど、価値あるものは認める。 虚無主義っぽいけど、さほど反社会的なわけではない。 保守主義ってわけじゃないけど、結果的に保守的。 つかみ所がない。自分でもつかめていない。 やや貴族主義的。民主主義には懐疑的。 |
親しみを感じる思想 | やはり仏教思想には見るべきものがあると思う。 スピノザの神概念は違和感なく受け容れられる。 ヒュームの習慣への着目は、他人が考えたとは思えない。 アダム・スミスの経済倫理はけっこう好き。 マックス・ウェーバーの価値に関する論考にも近い物を感じる。 |
目指す思想 | 決して「これで良い」と呟くことのない、 常にたゆまず悩み続ける思想。 多少なりとも救いのある思想。 飲食店で出された水に小さな虫が入っていたからといって 店員を怒鳴りつけて新しい水を持ってこさせるような、 そんな馬鹿なことをしないで済む、 大人として恥ずかしくない哲学がよいですね。 |
詳細履歴:
1982年、工業デザイナーの父と専業主婦の母の間に次男として誕生。
兄は機械畑へ進む。伯父も電子機器が専門。
理系一家で哲学・文学の素養はゼロの家庭環境。
幼児語をまったく使わず「車は車、猫は猫」という言語教育を受けたらしい。
1985年、父の仕事の関係で香港へ。
高級マンションの清楚とアジアの市場の猥雑に挟まれた幼少期を過ごす。
以降の二律背反の萌芽が育まれた?
エレクトーンのレッスンで音楽嫌いに。
外で遊ぶよりゲームに熱中。治安上の心配もあり、運動不足。
1989年、夏休みに日本に帰国し、花の多さで有名な小学校に入学。
既にしてかなり理屈っぽい子供。中学年まで「文学はクダラナイ作り話」として
子供向けの科学の本ばかり読む可愛くない子供。
水泳部のおかげで肥満は徐々に解消。文学嫌いも徐々に解消。
子供向けの文庫を2、3かじる。
栽培委員として他の生徒と違う経験をし、スペシャルであることの味を知る。
六年時に顕微鏡でミジンコを目撃。その無目的的な存在様式に幼いながら気づき、
「ミジンコは楽しいこともなさそうなのに、何のために生きているのだろう?」と
担任の教員に質問をぶつける。「生きていること自体に価値があるんじゃないかな」
という答えに、何となく釈然としないものを感じる。
1995年、中学受験で私立中高一貫校に入学。
美術部入部。美術教諭の影響を受け、生きる上での態度が変わる。
友人に「夢は追いかけても構わない」という当たり前の事実を気付かされ、
「夢」を追い始める。小心・平穏・無事なはずの人生が吹き飛ぶ。
以降しばらくゲームデザイナーを志望。中学二年の間、成績低下。
同じく中学二年時、「色即是空」を実感。「生きることに価値はないのではないか?」
同じく中学二年時、本格的にAdobe Photoshopを操りCGを始める。
1998年、高校進学。
現代文教諭の影響を受け、理系をやめ、漠然と哲学を志し、稼げるはずの人生が吹き飛ぶ。
高校一年時は辛い時期だった。絵が大きく進歩。
高校二年時、「空即是色」を実感。「生命に意味なくとも、世界は美しい!」楽しくなっちゃう。
同じく高校二年時、本格的に文芸活動を開始。
同じく高校二年時、我流哲学が世の常識と乖離すること甚だしく、
このままでは自分の発言・行動が他人にとって理解不能になるとの危機感から、
思考内容の開示を決意。やがて本Webサイトの構想へと発展。
2001年、東京大学文科三類合格。
講義を受ける傍ら、ホームページの構築に取り組み始める。
2001年七月より運営開始。
合格決定と同時に社会人サークル『地平線会議』に参加。「奴隷」として奉仕。
入学と同時に大学の視覚障害者支援サークルに参加。「会長」として奉仕。
「奴隷」と「会長」は似たようなものである。
2002年夏、「自主降年」なる制度を利用し三年進学を拒否。大学在籍を一年延長。
しかし大したこともしないうちに一年は過ぎ、教養学部・総合社会科学科に進学。
<学問>
哲学的基礎に基づき学問一般について論じる体系を構想し
因果論や自由意志論、社会経済学や消費社会論、カオス理論の社会への応用など学んでいるが、
総じて自分の論じようとすることは学問にならないのではないかと思いつつある。
ならば学問を発展させるのではなく、学問の限界を設定する方向に向かうべきか。
哲学論文は私が考えていることに答えをくれないようで、読む気がしない。
が、何も専門のディシプリンを身に付けることなく大学を出ようとする自分に危機感も感じる。
<教育>
2000年、高三当時からクラスメイトに数学、生物、国語、英語など教えていた。
受験直前の12月にはクラスメイト4人を相手にセンター生物対策講座。
大幅の点数アップにつながった人もいたようだ。
2001年冬から家庭教師を始める。高校二年男子を教えた。
始めてのことで、まともな指導をできたとは思えなかったが、良い経験になった。
この教え子とは未だ交流がある。彼も家庭教師を始めたようだ。
その後短期で中学3年男子も教え、社会人にも大学通信講座の論文作成指導など始める。
2003年秋、本格的に受験生の家庭教師を始める。小学6年男子と中学3年男子の指導開始。
中三生は劇的に成績が向上し、ほとんど漫画しか読まなかったのに古本屋で本を買う趣味もでき、
大成功と言って良い結果を出す。
しかし小六は思うように成績が伸びず、御両親にも満足していただけなかったようだ。
2004年初夏、小学5年生二人(男女)を指導し始める。
一方の家庭(男子生徒宅)では信任を得て中学1年の姉も指導開始。
姉弟はその後、引っ越し等家庭の事情で指導継続できなくなってしまったが、
小5女子は指導開始から1年ほどで大きく成績を上げ、家庭の信任を得て昇給していただいた。
2006年からは高校生を中心に教えていくつもりでいる。
集団指導に乗りだすつもりだが、生徒と一対一で向き合う家庭教師も続けたいと思っている。
<芸術>
2005年6月、知人に誘われて原宿の貸し画廊「MUSEE F」を一週間借り、
グループ展「Blue Spiral」開催。作品2点を出展した。
その直前2005年5月にも小規模の個人的な展覧会に2点出展。
「Blue Spiral」は今後も継続して開催する予定である。
<スポーツ・アウトドア>
2003年3月、24時間耐久リレーに4人チームで参加。6時間51km走破。
2004年3月には、同大会12時間個人の部で、痛む膝を引きずりながら75km踏破。
同じ時期、山岳ランニングにも手を染めていたが、脚を痛めて現在は療養中。
2003年春から太極拳(楊式伝統武術。流行の楊名時太極拳や世界標準の正定拳ではない)を囓り始める。
2003年3月下旬、徒歩で四国縦断。
暇ができたら、また何処かを放浪したい。
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |