昔の趣味をふと思い出し、またやってみたくなった。昔とはいつごろか?
昔も昔、小学校の頃の趣味だ。ご幼少のみぎりの私が、一体どんな高尚なご趣
味をお持ちであったか。少々気恥ずかしいのだが、実は折り紙をよくやってい
た。
引き出しの奥に眠っていた千代紙を引っぱり出し、色彩の相性を考えて三枚
を選び出す。なぜ色彩の相性が関係するのかと言えば、幼い私が得意としたの
が「ユニット折り紙」という、複数の折り紙を組み合わせて1つの作品を作る
折り紙の一種だったからだ。同じ形をした「ユニット」を組み合わせて、立体
的な形状を作る。例えばくす玉なら90枚・30枚・12枚等でできる。6枚
あれば立方体もできる。立体を構成できる最小枚数が三枚で、だから三枚の千
代紙を、色彩を考慮して選ぶ必要がある。ユニット折り紙は数学的に考えれば
どんどん可能性が拡がっていくが、小学生の頃には本に出ている作品や、その
ごく簡単なアレンジを作る程度のことしかしていない。また色彩も単体として
綺麗な色を出鱈目に組み合わせていたから、アクセントになる鮮やかな色ばか
りが減っており、残された紙の中から3枚を選ぼうとすると苦労する。何とか
青系統で、まとまりの良い三枚が見つかった。
紙のはしとはしを慎重にあわせる。紙がずれないよう少しずつ紙を曲げ、折
り目がついたら、つめでしごいて折り目を鋭くする。ユニット折り紙を美しく
仕上げるポイントは、すべてを丁寧に作ることだ。ひとつひとつのユニットが
ゆがんでいると、組みあわせるときに、うまくいかない。すき間があいてしまっ
たり、組んだ部分が弱くなってしまったりする。完璧に折るのはむずかしいか
ら、少しでも乱暴になれば、そのことが作品にあらわれる。だからゆっくり、
丁寧に折る。
指先に集中して、何も考えずに作業をしていると、何だか気持ちが落ちつい
てくる。肉体労働やジョギングでも、単純な動作を繰り返すうちに、頭の中が
からっぽになってくるが、一方で心は荒々しく波立ってくる。力強い野性的な
リズムが体を支配し、禁欲的で謙虚な精神性が一時的に心を支配する。指先の
小さな世界に心をかたむける今、同じように頭はからっぽだが、心の中はまっ
たく違っている。しずかで、こまやかで、ゆるやかなやさしい世界が、そこに
はある。
もう一枚、紙を折る。こんな気持ちになったのは久々のことだ。長いあいだ、
こんな気持ちから離れていた。問題を探し、誤りを批判し、改善を急ぎ、急ぎ、
倦み、疲れた。スマートにこなせず、些細なことが気になった。美しく偉大な
ものに憧れながら、まどろむ淀んだ時間の流れを探し求めるようになった。そ
んな姿を正当化することはできなかったが、かといってそんな自分に憤るのも
空々しく、憐れむことも虚しかった。答えが出ないことがわかり、考えること
をやめた。
三枚目を折りにかかる。もうすぐ完成する。期待感が高まる。既に完成した
二枚を組みあわせ、あとここに一枚組み込めば完成だ、と確認したくなる。そ
ういえば、完成の喜びというものとも遠ざかっていた。打ち立てることより打
ち壊すことに魅了され、育て上げることより切り倒すことを求めてきたように
感じる。知的鍛錬も、人格的成長も、私にとってはそういうことだった。無知
を打破し、悪徳を組み伏せることが課題だった。それが繰り返される不健全な
自己否定だと知りながら、その事実から目を背けてきた。蓄積される屈折に気
付きながら、新しい自分欲しさに見て見ぬふりをし、今、その怠惰のつけを支
払わされようとしている。積み重なった否定の重圧が肩にのしかかる。
三枚のユニットが完成し、組みあわせる。「3コぐみ」の完成だ。久々に作っ
たにしては、美しく仕上がった。小学生の頃には、これをいくつも作ったもの
だった。と、こう書くと過去を懐かしんでいるようだが、小学生の頃のことは
あまり思い出さない。思い出さないように気を付ける。ある程度入れ込んでい
た物事については、必ずといってよいほど思い出したくない思い出があるから。
思い出したくないと言っても、大した思い出ではない。幼い頃の事として、
笑い飛ばせるようなことばかりだ。いっそ微笑ましくすらある。が、そうした
物事を、けっして笑い飛ばさなかった。徹底的に見つめ、徹底的に嫌い、そし
て克服し、過去のものにする。繰り返される過去の否定の上に今日の自分を作
りだし、そうして自らの手で自らの過去を斬り捨て、自らの血で過去を汚し、
汚された過去が積み重なり、今や我が身を苛んでいる。そのつけをいずれ支払
わされると知りながら、明日のために今を売り払った。売り続け、美しい過去
を失い、今をも失い、やがて明日をも失おうとしている。ときどき、ふと、そ
んな気がする。
出来上がった折り紙は、実に他愛のないものだ。しかし、こんな他愛のない
ものを、昔は夢中になって作った。無心に指先に没頭し、小さくとも何かを生
み出していた。あの頃に帰ることができるとも、そうしたいとも思わない。自
分を切り売りするようなゲームも、もうしばらくは降りる気はない。しかし失っ
たものは何もないなどと、しらを切り通すことも、どうやら自分にはできそう
にない。小さな折り紙細工を弄びながら、またひとつ自分の過去を売り払い、
明日への路銀をまかなっている。地図もなく、目指す土地も実在しないかも知
れないと、心のどこかで感じながら。