アメリカン・マギーズ・アリス評


『American McGee's Alice』というゲームのデモ版をプレイしてみて、久々に
夢中になってしまった。なかなかの名作に出会えたと思う。

 『American McGee's Alice』──以下『アリス』と称する──はパソコン向
けの3Dシューティングゲーム、つまり画面がキャラクターの視点から描かれ、
次々と出現する敵と武器を持って戦うというタイプのゲームだ。他の文章に書い
たが、このゲーム形式は私が特に好んでいながら不満も多いジャンルで、その不
満が私自身に対する不満とも重なったりして、とにかく難しい分野なのだが、
『アリス』は長らく溜まっていた不満を解消してくれるようなゲームであった。
私が作ってみたいと思い、作ってほしいと思っていたゲームだ。

 題名から想像がつくとおり、『アリス』は数学者ルイス・キャロルが実在の少
女アリスに聞かせるために書いた童話『不思議の国のアリス』および『鏡の国の
アリス』をモチーフにして製作されている。私が絶賛するデモ版を収録していた
雑誌は「メルヘンチックな雰囲気は一切なく、グロテスクな世界が展開する」と
解説を入れていたが、ルイス・キャロルの原作もなかなか奇妙でグロテスクな部
分もあり、作者のエピソードまで含めて、イメージをよく引き継いだ上で再解釈
を与えているように思える。主人公は少女のアリスで、ティーパーティーの時間
を気にするウサギやニヤニヤ笑う猫、トランプの兵隊にチェスのコマと、キャラ
クターは原作でお馴染みのメンツが揃う。が、どのキャラクターも様子が違う。
ウサギは服ばかり紳士だが、その顔は極めて凶悪で、目は狂気の色を浮かべてい
る。猫は猫であるかどうかを疑いたくなるような痩せぎすであり、悪魔的な入れ
墨と大きなイヤリングに狡猾そうな目と凶暴そうな牙という面構えである。トラ
ンプの兵隊は首を切られると血を吹き出してのたうち回るし、チェスのポーンは
邪教趣味な眼文が描かれ、同ナイトは例のごとく狂気を湛えた目で剣と盾を振り
回している。全てのキャラクターが『不思議の国』の何かが狂い、ねじ曲がって
いるかのような印象をあたえている。そして何より当のアリスが、異世界の住人
としか思えないのだ。
 このゲームのアリスは極めて魅力的なキャラクターに仕上がっている。そもそ
も華奢な体の少女が出刃包丁ほどもある巨大なナイフを持って返り血を浴びなが
ら戦っているという設定だが、そのアンバランスが不安定で儚げな、それでいて
どこか底知れない一群の複合した印象を生み出して鮮烈だ。トコトコと走る後ろ
姿はエプロンの結び紐が蝶のようにひらひらと揺れて愛らしいが、そのエプロン
の前を見れば返り血が点々と赤いしみを作っている。歩きながら周りをキョロ
キョロと見回し、立ち止まっていると持っていた箱をちょっと開けて中を覗かず
にはいられなかったりする所はいかにも幼げだが、ナイフを投げてみると有り得
べからざる剛腕を披露する。また幼さと不釣り合いに豊かな胸もストイックなブ
ルジョワ子女の服装と著しいアンバランスを見せている。口調は落ち着いている
が、目は大きくて美しいと言うより大きすぎて神経症的であり、鼻筋からすっと
通った眉のラインは些か角度がきつすぎる。実にこの少女は異界の住人である。
ナイフの刃の輝きが残像となって尾を引き、その印象をさらに深める。愛らしい
だけなら特別のこともないが、この少女は愛らしい部分と破壊的な部分が、整っ
た部分と崩壊した部分が、幼さとグロテスクが同居し、ある種独特な印象を強烈
に焼き付けてくる。一度見てしまったら、目が釘付けになって離せない。妖魔の
魅力であり、妖魔の如き部分を隠し持つ人間という存在の一面の魅力でもある。
 ルイス・キャロルは友人の幼い娘であるアリスを可愛がったが、やがて父親で
ある友人からアリスに近づかないように言い渡される。複合した陰影に富む複雑
な愛情が見え隠れする原作者のエピソードも、このゲームのアリス像の上には重
なっている。そこがまた、彼女の魅力を増している。

 また空間が凝りに凝った奇妙な世界を作り出している。そもそもデモ映像が最
初に映し出す木造の屋敷はドアというドアが全ていびつな四角形をしており、窓
から赤い光が漏れている。天井からつり下げられたランプは風もないのに大きく
揺れ、何だか分からない巨大な軟体動物の足のようなものがズルリと廊下に這い
出している。その部屋のひとつにアリスは自分の肩を抱きしめてしゃがみ込み、
荒い息をついている。と、突然現れた狂眼のウサギはおきまりのセリフを残して
廊下側のドアを開けて出ていってしまう。が、アリスが後を追ってドアから身を
乗り出すと、そこは廊下ではなく奇妙な色の光がうねる異次元のような空間であ
り、なぜかアリスのいる部屋はその中に浮遊している。悪魔的な姿の猫が凶悪な
笑いを浮かべながら跳ぶように促す。何かが既にねじ曲がっているのだ。物理法
則がどこかで崩壊している。巨大な軟体動物の足のように見えるのは、この世の
歪みから実体化した世界の亀裂だ。いかにも現実離れし、異世界と見える空間。
しかし、我々の住む世界は亀裂が入っていないか。ハムレット的世界観に立つと
き、この世のどこにも似ていない『アリス』の世界は、よもするとこの世の全体
像と酷似して見えてくる。
 「軟体動物の足」は至る所に存在する。城壁から唐突に這い出していることも
あるし、穴の中から空に向かって伸びていることもある。どことも知れない暗闇
の中に砦が浮遊していたり、時計が揺れて振り子が止まっていたりする。時針と
分針は逆回転し、外につながるはずの門をくぐると建物の中に入ってしまったり
する。圧巻はチェスの城だ。木の根が這い回る地中の穴を下っていくと、とつぜ
ん崖に行き当たる。崖の下を覗くと、足下には夜空がひろがって星が瞬いている。
では天井方向はと見上げると、そこには巨大なチェス盤文様が流れている。よく
見ると黒いマス目には足下と同じ夜空の星が瞬いており、白いマス目は白銀に
輝く昼の曇り空だ。その奇妙な空間の中、崖の向こう側に無機質な灰色の城が
見える。城の前庭はチェス盤文様の巨大なタイルで構成されているが、そのタイ
ルの一枚が突然何の脈絡もなく更に64の細かいマス目に分かれていたりする。
そして、そのタイルが崩れかけている。穴が空いているところもあるし、一枚の
タイルが折れ曲がっていたり、それに続くタイルが垂直に垂れ下がっていたり、
いびつにせり出した黒白のブロックに埋められたりしている。例によって訳もな
くブロックが空中に静止している。そしてその中を、ポーンが身をくねらせては
ね回っているのだ。空間が歪み、ねじれ、あらぬ所で結合し、必要なところが断
絶している。常識や理論といった束縛を無視した虚実の混交する世界は我々の精
神にある自由と快感を与えてくれると共に、ある疑問を突きつける。我々の思っ
ている実とは何か? 虚は如何なる理由で虚なのか? 我々の視野は拡大され、
概念は星空とチェス盤の間にひろがる抽象の海へと自由に展開してゆく。

 空間と共に『アリス』の奇妙な世界を構成する音楽もまた、期待感・孤独感・
美しさ・グロテスクを同時に表現する重層的なものに仕上がっており、各ステー
ジごとの雰囲気によく合って素晴らしい。最初のステージでは訳も解らず奇妙な
世界に放り出された孤独感を煽り立てるメロディーが緊迫感のあるテンポで耳に
流れ込み、同時に冒険の高揚感が矛盾のない形で演出されてプレイヤーを惹きつ
ける。最も空間・時間の歪みが強調される第二ステージでは緩慢なリズムの中に
響く鐘の音が我々を異界へと誘い、尾を引いて下がっていく音程は奇妙な印象を
我々の脳裡に蓄積していく。最終ステージとなる「青ざめた王国」では、威圧的
な重低音の間に響く透明な高音があたかも狂気からの解放を望む祈りのように響
く。そして何より全ての音楽を通じて用いられているコーラス系の音色が全体の
世界像や様々なオブジェ、アリス自身の性格と共鳴して『アリス』の錯綜するイ
メージ・物語を織り上げているのだ。

 『アリス』は仕掛けにも事欠かない。上昇気流に乗って浮き上がり、ロープを
揺らして崖に飛び移り、部屋が突然バラバラになったり、巨大な岩石が足場を壊
してしまったりする。例のチェスの城では、アリスがビショップに変えられてし
まい、マスの上を斜めにしか動けなくなってしまったりする。『アリス』におい
て「変身」という仕掛けは印象が強い。『アリス』における変身は原作における
それと似て、「色々なものに変身できて自由だ」というよりは、「色々なものに
変身してしまって不安だ」と言った方が正しい。アリスはビショップの他にも小
人や身軽な昆虫人間になったりもするが、ビショップになればチェスのルールに
支配されてしまうし、小人になれば巨大な昆虫に襲われ、いつ元に戻れるのかと
不安が亢ずる。昆虫人間には虫の体液を飲んで変身するのだが、飲んだ途端にア
リスの体は毒々しい緑色に変わり、額からは触覚が、背中から昆虫の羽が生えて
くる。身軽になって良かったのか悪かったのか。さらに宣伝画像にはアリスの肌
が赤く変色し、手は巨大な鈎爪に変化している様子があるが、あのアリスは間違
いなく『アリス』の世界で最も凶悪な存在だろう。振り返って、我々は子供から
大人になり老人になっていくのか、それとも斜めにしか動けないビショップや血
に飢えたモンスターに変わるのか。変化して、それでいいのか。もはや後戻りは
できないのか。できるとして、いつ?
 ルイス・キャロルが『鏡の国のアリス』を書いたとき、彼はチェス盤上でクイー
ンになる小説のアリスに、大人になって行く現実のアリスの後ろ姿を重ねていた
という解釈を聞いたことがある。ここにも原作の影がちらつき、更に問題が人間
一般の事象にまで拡大され、『アリス』の魅力は尽きるところがない。

 雑誌等で見ている限りさほど面白いソフトとは思えなかったのだが、実際にプ
レイしてみればなかなか面白いし、細部の作りも凝っている。光のエフェクトも
美しいし、主人公のアリスにはプレイヤーが果たして見るかどうか定かでないよ
うな静止時の動きまで与えてあり、遊び心とキャラへのこだわりが感じられる。
細かい点を言えば些かセンスに欠く残虐趣味が顔を覗かせるところもあるのだが、
全体として魅力的な作品に仕上がっていると言えるだろう。『American McGee's
Alice』への賛辞を、私は惜しまない。