大学に入ったばかりの夏、読書会と称して友人たちと伊豆にある大学の施設
に泊まりにいった。大岡昇平の『野火』がテーマだったが、むしろ真のテーマ
はチューハイを何本買えば足りるかであったような気がする。いちおう本を囲
んで二時間ほど議論し、その輪が崩れるようにして飲み会に移行する。部屋の
一端では次々とコールがかかり、適当に混ぜられたカクテルもどきが消費され
ていく。かと思うと、別の一端ではツマミのするめをかじりながら、読書会の
続きのようなことをしている。こいつが俗に言う黄金の青春時代か、と安物の
梅酒をあおる。梅酒が飲みたくて梅酒を飲む訳ではない。手元にあったのが梅
酒だから、梅酒を飲むのだ。飲めないほどアルコールが強いのでなければ、要
は何でも構わない。
なんだかんだと二時頃まで起きていて、ずるずると眠りに滑り落ちた。一晩
のうちにゴキブリが三匹も這い出てきた。宴会後の畳の上には食べかすが散乱
しているのを知っているのだろうか。
翌日は朝食を知らせる合図で起き出した。埃のこびりついた窓から、まっす
ぐな日光が射しているのが見える。飲み会のあった空き部屋にも光は射し込ん
で、空虚に畳を照らし出している。
朝食が済んでも、当番の者は食器をかたづけねばならない。その間に海に行
く者は海に行く。食器が片づいて部屋のある二階に上がっても、ほとんどの者
が海に出た後の二階はがらんとして物音一つしない。さらなる空虚を求めて、
自然と足は会議室に向かった。同じ二階に、サークルで宿泊したときなどのた
めに七十人程度は楽に収容できる部屋があり、古い折り畳み式のテーブルと椅
子が無造作に重ねてあったり、卓球台やビリヤード台が置かれていたりする。
広い照明のない部屋に意味もなく日光が投げ込まれている。広い人のいない部
屋に意味もなく私は立っている。
ふと見ると、壁際にオルガンがあった。小学校を何年も前に退役したような
小さなオルガンが二台。元よりニスも塗っていなかったらしく、白ちゃけた生
木の外面はぼろぼろになっている。それでもふたを開けると、鍵盤はつややか
に光っていた。
右の人差し指と左の人差し指、二本の指をつきたてて鍵盤を叩きだした。適
当にリズムを取って叩いていれば、けっこう曲のように聞こえることもある。
白鍵のみ、和音無しのこの上もなく単純なメロディーが、誰もいない部屋の中
に散っていく。もとより楽譜などない。空気の振動が消えたときが、曲の滅び
るときだ。指先からこぼれでた他愛のない音は、生まれる端から空気のなかに
ちりぢりになって、二度と繰り返されはしない。繰り返されるほどのものでも
ない。他愛のない、子供の頃の遊びのようなものだ。
舞い上がり対流する埃に反射して、光の軌跡が見える。埃の粒が上がっていっ
て、光の占める空間から出て、ふいに見えなくなる。きらきらと積もった埃の
一粒一粒が輝いて、意味もなく上がったり下がったりしている。他愛のない、
私の指先からこぼれる音のようなものだ。
何年か前の夏、バス停のベンチや無人駅で夜を明かす旅をしていたときだっ
た。空は明るいが、雲は隙間なく空を覆っていた。土のにおいがして、やがて
しとしとと弱い雨が降り出した。夏の甘い雨なら、荷物がひどく濡れさえしな
ければいい。そのまま町のなかを歩き続けた。車の通らない道で、美しく整備
された用水路が道の脇を通っている。昔からあったものなのだろうか。雨粒が
波紋をひろげ、落ち葉がゆっくりと流れていく。
ふと気がつくと、どこからかピアノの音が聞こえてきていた。雨の中にしば
し立ち止まって、どこから聞こえるのか、周りの家を見回す。たどたどしく、
一音ずつ確かめるように、雨滴が水面に広める波紋にも似て、ゆっくりとメロ
ディにならぬ音がひろがり、消えていった。波紋と戯れているように、ひとつ、
またひとつと音がひろがり、ひろがりきって消えてゆく。
窓の下を子供が駆け抜けていった。オルガンの音がそこまで聞こえていたの
だろう。幼稚園か小学校かで習った歌を元気いっぱいに歌い、海の方に駆けて
いった。あの雨の日にピアノを弾いていたのは、習いたての曲を練習する幼い
少女だったのだろうか。それとも久しく触らなかった鍵盤の感触を確かめる、
年老いた男だったのだろうか。一回音を間違えて曲を終わらせるタイミングを
逸し、もう一小節ほど弾いて終わりにした。振り返ると、入り口に友人の一人
が物問いたげな顔で立っていた。部屋を出るとき、すれ違い様にニヤリと笑っ
て「一本指打法」とかつぶやき、はぐらかしてやった。