一

 薄暗い食卓のある部屋で、古風な振り子時計が正午を告げた。趣味の悪い小人の人形が飛び出して、目玉をぎょろつかせながら踊り狂った。
 四方にある扉が同時に開き、それぞれの部屋の住人が同時に食卓の椅子をひき、それぞれの椅子に右側から座った。食事の支度は整っており、四人は同時に食事を始めた。一人は眉間にしわを刻んだ老人。一人は前世紀風の貴婦人。一人は白衣を着た科学者。そしてもう一人が私。さて、箸をとって食べようとしたら、「バカモン」いきなり老人にひっぱたかれた。「箸は左手でとって右手に持ちかえる。それから椀を手にとって食うんじゃい」そういうと、老人は勇ましい音を立てて味噌汁を啜った。貴婦人が眉をしかめる。「まあ、お行儀の悪い事」貴婦人は銀のスプーンで味噌汁を食べた。「なんじゃとっ!貴様こそ邪道じゃっ!味噌汁を匙ですくうバカがあるかっ!」今度は貴婦人の頬をひっぱたいた。貴婦人はひっぱたかれた拍子に首が一八〇度回転してしまった。貴婦人の頭の後ろには鉄仮面がついており、貴婦人は首をもとに戻さず、そのまま食事を再開した。ひどく機械的な動きで、それでも頑固に味噌汁をスプーンで食べていた。私は老人に首を回されてはたまらないから、味噌汁にスプーンは使わなかった。コンソメ味の味噌汁は皿に盛られていた上、具の肉が大きかったから、飲みづらかった。科学者は最初のひとくちを口にいれてから、考え事に夢中で飲み込むのを忘れてしまったらしい。三人が食べ終わって席をたったとき、科学者は不思議そうに回りを見回してから、突然自分のすべき事を思い出して、あわてて納豆をかき回して味噌汁にぶち込み、巨大なステーキを一本の箸で押さえて、もう一本でこすり始めた。慌てて滅茶苦茶になっているのだと思っていたら、科学者は納豆味噌汁を大いに満足げに食し、ステーキは箸で手際よく切ってのけた。どうやら全部切ってから食べるつもりらしい。細切れに切り刻んでゆく。そう思っていたら、細切れの肉を後生大事にピンセットでビニール袋に移して、ナスのソテーを頬張って席をたった。

 それぞれバラバラに部屋を出ていった。

     二

 時計が十二時を告げて、四人が部屋に入ってくる。貴婦人はもとの顔に戻っていた。時計の人形が踊り狂っていたが、老人は入ってくるなり、人形の顔を見て腹を立てたらしい。引っ込めといったのに引っ込もうとしないから、怒り狂って人形の頭をたたき落としてしまった。貴婦人が表情を変えずに抗議の声をあげた。貴婦人はあの趣味の悪い人形が気に入っていたらしい。よく見ると貴婦人の顔はセルロイド製の仮面で、実は昨日半回転したのが更に半回転していたに過ぎなかった。首に一回転のしわがある。老人が抗議の声にさらに腹を立ててぶん殴ると、貴婦人の頭はさらに半回転して、今度は見るも恐ろしい鬼の面に変わった。しかし科学者の恐れおののいている顔に気付くと、今度は自主的にもう半回転して無表情な能面になった。
 老人は怒った勢いで、食卓につくなり叫んだ。「箸がないぞ!」科学者が大皿のかげにまとめて置いてある箸を見つけて差し出す。「ほら、ここにありましたよ」とたんに老人にぶん殴られた。
「バカモン、箸がある訳なかろう!無いものは無いんじゃ。おい、早くもってこい!」
 天井から一膳の箸がふってきて、老人の食事にホトケ箸状に突き刺さった。老人はふってきた箸で満足げに食事を開始した。貴婦人は昨日と同様、機械的に食事をしていた。科学者はひどく悩んでいるといった様子で、考え込みながら食事をした。

     三

 時計は十二時を告げたが、人形は登場しなかった。四人の他に、裁判長以下数人の裁判官が登場した。
「では、これから簡易出張裁判所を開廷する」
 ふと気付くと、人形の首が椅子に鎮座ましましている。たしか親指ほどの人形のはずだったが、いつのまにか首はサッカーボール大になっていた。首は涙ながらに昨日自分の首がたたき落とされた次第を語った。
「このとおり、被害者は首をたたき落とされている。加害者の罪は明白である。問題は、罪がどれほど重いかだ」
「裁判長、法典にこの事についての規定があります」
「ほう、読んでみたまえ」
「旧約聖書レビ記二四章、『もし人が隣人に傷を負わせるなら、その者は自分の行ったように己に対して行われなければならない。すなわち、骨には骨、目には目、歯には歯をもって、人に傷を負わせたように、己にも行われねばならない』以上です」
「この規定によれば」と裁判長。「被告人もまた、首をたたき落とされねばならない。被害者が今後首だけで生活しなければならない、その苦しみを被告人もまた受けなければならない」
 裁判官達も貴婦人も科学者も、実に公正な裁きであると認めた。ついでに老人までが他人事のように認めた。私は初めて目にする裁判がいたく単純に済んだのに面喰らっていた。
「判決は下った。刑罰執行人、前へ!」
 黒いマスクをかぶった二人組が老人の前にたつと、老人は不機嫌そうに二人を見上げて、こうのたもうた。「ん?なんじゃ?はやく犯人をとっつかまえんかい。それともなんぞワシに用か?」老人は犯人が誰だか分かっていなかった。
「我々が犯人と呼んでいるのは」と裁判官の一人。「貴方のことなのですよ、Pさん」
「なに?犯人がおらんのか?」
「そうでは無く、貴方が犯人なのです」
「なにっ!なんじゃとっ!犯人がいないからといってワシに罪をきせる気か!」
「もういい。早く連れていきたまえ。この老人にとってこの事件の真相がどうであろうと、我々にとっての真実は変わる所は無い」
「こら!ふざけるのもいい加減にせい!そんな無法があるか!こりゃ、おまえら手を放さんか!ええい、どいつもこいつもふざけた奴ばかりじゃ!世の中歪んでおる!ああ!ワシはこんな無法には耐えられん!」
「さあ、執行人、その人物はこの被害者同様、首だけで生きる苦しみを味わわねばならないのだ」
 とたんに執行人達がうろたえ始めた。一人がおそるおそる、質問をした。
「裁判長殿、この罪人は首を落とされねばならないのですか?」
「その通り。早くしたまえ」
「しかし裁判長殿、罪人は生きねばならないのですか?」
「その通り。何か問題あるかね」
 二人はまたひそひそやっていたが、結局こういった。「裁判長殿、経験からすれば、首を落とされた人間が生き続けるのは不可能ではないかと思いますが」
 不機嫌に、裁判長。「君の経験がどうかは知らんが、法典からすれば罪人は首を落とされたまま生きねばならんのだ。君は法律についての見識、経験はあるまい。黙って刑を執行するんだ」
「しかし裁判長殿、我々が罪人の首を落としてしまったら、間違いなく罪人は息絶えます」
「そんな事は君達で何とかしたまえ。これは君達の管轄ではないか。この被害者と同じようにするのだ」
「お言葉ですが裁判長、被害者は人形だから首だけで生きていますが、罪人は人間のようですから首を落とすのには耐えないかと・・・」
「大変だ!」と裁判官の一人。「我々はとんだ誤審をしてしまった!」「なんだ」「一体何が誤審だというのだ」裁判官達がざわめくのを制して、裁判長は意見を述べるよう促した。
「この法典は自由人と自由人の関係において語られていますが、この事件では被害者は人形で、自由人ではありません!」
 裁判長は唸った。「確かに、その通りだ」それからまた少し唸って、「法典には人形への危害について触れてあるかね?」
「いいえ」と裁判官の一人。「そんな規定はありません」
「何か他の法典は?」
「しかし裁判長、一つの社会に二つの法律が有っていいのでしょうか?」
「むしろそれは理想だろう」と、裁判官の一人。「なぜならあらゆる人間は、自らの過去に立脚したそれぞれの真実を形成するのだから」
「しかし」と、老齢の裁判官。「我々は裁かねばならん。そのためには唯一の法典が必要だ」
「つまり、他の法典に人形に関しての規定を求める事はできない。一体どうしたものか」
「裁判長、我々が今後の裁判の判断基準となるべき一つの見解を示さねばならないようです」
「その通りだ」裁判長が重々しく言う。「我々は人形に対する暴力事件に、一つの見解を示さねばならない。そこで諸君。この人形の社会的立場を明らかにしようではないか」
「被害者の社会的立場について、証言するものは?」
「私が知っています」そう答えたのは壁掛け時計。「被害者は人形専門の職人の所で作られ、時計工房に卸されたのです」
「その職人は被害者の他にも、人形を作っていたのかね?」
「はい。全く同じ形の人形が作られていました」
「彼らは全て時計屋に卸されたのかね?」
「そうです。全て同じ時計屋に売られました」
「諸君」と、裁判長。「被害者の社会的立場が判然とした。被害者は作られた当時から時計に用いる事が想定されていたのであり、そこに自由意志は介在の余地がない。よって被害者は道具的、奴隷的存在であるという事ができよう」
「裁判長、法典には奴隷についての規定がなされています。すなわち、出エジプト記二一章『もし人が自分の男奴隷の片目、あるいは女奴隷の片目を打ち、これをつぶしたならば、その目のためにこれを自由にして去らせねばならない。また、もし男奴隷の一本の歯、叉は女奴隷の一本の歯を撃ち落としたならば、その歯のためにこれを自由にして、去らせねばならない』以上です」
裁判長は食卓椅子に座り直して、重々しく言った。「判決は下った。被害者は奴隷的身分の者であるから、これに危害を加えた以上、犯人はこれに代価を払って買い取り、自由にして放さなければならない。犯人の財産管理はどうなっているのか」
天井が答えた。「犯人の財産は食卓の同席者三人のものと合わせて、共同管理されています」
「よろしい。それでは、そこから奴隷の代価を払わねばならない」
「人形の卸し金額は五〇〇円でした」
「では奴隷の所有者は?」
「私達四人」と、能面貴婦人が言葉少なに答えた。
「では共同財産から共同財産へ、五〇〇円の支払いを命ずる」
 判決が下ったとたん、税務署の役人がドアを蹴破って入ってきて、居丈高に所得税を要求した。天井から一円玉がニ三枚ふってくると、ひったくるようにしてそれを受け取り、猛スピードで次の徴税場所に向かっていった。彼にとって人間とは脱税するようにできいているものらしかった。あまり急ぐものだから、脚がもつれた上にヘリコプターのローターのように回転して、それで浮力を得て低空飛行しているようだった。簡易出張裁判所は閉廷し、食事になった。老人は上機嫌でこう言った。「どうじゃ。やはり罪もない人間に罪をなすりつけるのは無理じゃったろう」それを聞いた貴婦人は鬼の面になったが、どうやら自制心との葛藤があるらしく、女の能面と鬼の面とで目まぐるしく変わり、首のねじれはどんどん多くなっていった。老人は上機嫌で、小鉢に入っていた豆を御飯にかけるべくかき回し始めたが、すぐに少しも糸をひかないのに気付いた。
「なんじゃこれは。糸をひかん納豆だな。おい、これはどういう事だ!」
 天井から声がした。「それは大豆の煮豆です」「ふん、ニマメ納豆か。なんにせよろくな納豆屋ではないな」老人は仕方ないといった調子でかき回すのを止めようとしたが、科学者が考えに夢中になって、煮豆に突っ込んだ箸を行ったり来たりさせているのに気付いた。納豆のかき回し方で人に後れをとる訳にはいかん。老人は燃え盛る烈火の如く逆巻く怒濤の如く、青筋立てて凄まじい勢いで、一心に煮豆をかき回し始めた。そうして科学者の方を見ると、科学者はやっぱり考え事に夢中で箸を出そうとしない。老人はいよいよ必死になり、全身全霊で、大木をもなぎ倒す野分きの激しさと巨岩をも打砕く稲妻の凄まじさでもって、猛烈に煮豆をかき回し始めた。糸をひこうがひかなかろうが、煮豆だろうが煮豆納豆だろうが、そんな事は関係なかった。老人の衰えた腕に編み目のように血管が浮き上がり、禿げ上がった額を滝のように汗が流れ下り、痩せた背中から蒸気機関車のような湯気が吹き出し、ついに腕の動きが肉眼では捕らえ難い速さとなり、高い金属音が聞こえ始めるに至って、ついに老人のからだが限界に達した。ぶつーん、という音と共に、老人の腕の動きは急速に衰え、頭ががくんと背中におち、目は見開かれて瞳孔は絞まった。しばらくして、瞳孔は開いた。三人が席を立っても、老人は席を立たなかった。

    四

 時計が十二時を打った。人形の頭は自由の身となり、ゴミ収集車の荷台に載って、新たなスタートを切った。老人は早くも干涸びてきていたが、それでも頑固に煮豆をかき回していた。そこに科学者が三人入ってきた。なんでも自分の複製に成功したらしい。本人は誇らし気な顔をしていたが、後の二人は難しい顔をしていた。食卓につこうとしたが、科学者の席は一つしかない。急ごしらえでもう二人分、小さなテーブルに食事が並んで椅子もろとも床から生えてきた。
「ああ、これでいい」
「いいって、あんたはなんでそこに座ってるんだね?もとからあったその席に」
「なんでって、どこでもイイじゃないか」
「ならあんたはこっちに座るんだ。そこには私が座る」
「お前こそ何をいってるんだ?私にだってその席に座る権利は有るだろう」
「おいおい、二人ともやめたまえ。いい大人が食事の席ぐらいで」
「残念ながら、生れたばかりでね」
「席ぐらいと思うならいい加減にそこを退いたらどうなんだ。この気球頭」
「なに?なんて事をいうんだ、きみ。わたしは・・・」
「あんたがどうだってかまわないんだよ。この気球頭。さっさとそこを退くんだ」
「気球頭はケッサクだな、兄弟。まさに気球と同じだ」
「なんだと!どこが同じだというんだね?説明したまえ!」
「名誉の事で一杯じゃないか」
「パンパンに膨らんでフワフワしている」
「何様のつもりだ。あんたにできる事は我々にもできるって事を忘れるな」
それを聞いたとたんに、今まで興奮しているだけだった科学者の顔が目まぐるしく変わり始めた。まず衝撃、驚愕、恐怖、後悔、そして最後に害意が現れたと思ったら、みるみるうちに凶悪な獣の顔に変わった。そして白衣の袖に手が引っ込んだかと思うと、代わりに剣が登場した。何本も出てくると思っていたら、みるみるうちに脇腹や背、腹からも剣腕が生えて、とうとうウニになってしまった。ウニ科学者は複製科学者に襲いかかり、かくして次に時計が十二時を告げたときには、食卓に科学者のソテーが並ぶ事になった。

    五

 人形のいない時計が十二時を告げた。人形の頭は焼却され、出会うべき何かを求めて大気の循環系へと旅立っていった。老人はすっかりミイラになり、目の落ち窪んだ顔をあさっての方向に向けていた。それでも右手は箸をもって、弱々しく煮豆をかき混ぜていた。貴婦人はかなりギクシャクした動きで部屋に入り、首をちょっと曲げた状態に保って食事をした。どうやら気を付けないと、首にたまったねじれが巻き込んだゴムひものようにもとに戻ろうとするらしい。科学者はひどく憂鬱な面もちで、ソテーに添えられていた科学者の眼鏡の半かけらを頬張って、ゆっくりと噛んでいた。

    六

 老人のミイラは煮豆をかき回すのを止めない。目の落ち窪んだ顔はあさっての方向を見ているが、右手はいまだに弱々しく、小鉢の中を行ったり来たりしている。科学者は頭を丸めて、坊主になっていた。眉間に深いしわを寄せて、必死に教典とにらめっこしている。そこに貴婦人がへっぴり腰で入ってきた。首の向きを維持するのに必死で、優雅に振る舞っている暇がないのだ。そんな訳だから、当然絨毯にしわが寄っているのにも気付かなかった。そのとき貴婦人の顔はムンクの有名な絵のレプリカになっていたのだが、つまずき倒れそうになり、危うく足をついて体を支えた、その衝撃で首が半回転元に戻った。それは東南アジアの、クチバシをもち目をひきむいた魔物の面だった。しかし貴婦人の頭は半回転戻っただけでは済まなかった。今までかかっていた力が解放されて、貴婦人の頭は猛烈な勢いで逆回転を始めたのだ。出るわ出るわ、どこを見てるのかわからないポリネシアの神像、わざとらしい笑みをたたえたギリシャの古美術、見開いた目がこぼれそうなタイの木彫りの面、その他ありとあらゆる引き攣った顔が登場した。さらに見覚えのある鬼と能面がしばらく交互に出て、最後に能面、鬼、セルロイド、鉄仮面と続き、元の顔が登場した。そのついでに勢いあまって、最初の顔を通り越してもう半回転した。出てきたのは不細工な、太った中年女の面だった。するといきなり、貴婦人は着ていた服をかなぐり捨ててしまった。下からは数十数百の乳房が登場した。かなぐり捨てた衣服をぺろりと平らげると、貴婦人はみるみる太り、はち切れんばかりの脂肪の固まりと化した。そして歌って踊りながら卵をポロポロ生み始めた。ぽろぽろぽろぽろ、ぽろぽろぽろぽろ、ひたすら卵を生むわ生むわ。その卵の一つ一つから、訳の判らぬ生命体が誕生しては消えていく。科学者は最初ただ驚いていたが、そのうち目を見張ってじっと見始め、しまいに「そうか!」と叫び、感極まって涙しながら、そのガイア貴婦人を崇め始めた。私は訳が判らなくなって、食事を早々に切り上げた。老人は何も構わず干涸びた煮豆に箸を突っ込んでいた。

    七

 十二時になって、時計が時を告げ始めた。ボーン、ボーン、ボーン、ボーン、十二回打つのかと思っていたら、今日にかぎって十二回では止らなかった。ボーン、ボーン、ボーン、ボーン、そのうち変な音で鳴り始めた。カーン、キーン、トン、シャン、ゴトゴト、ゴトッ、ガポン、ブクブクブクブク、ゴポッ、シューン、ピコピコピコピコカチーン。止ったと思ったら、やおら足を生やして部屋を出ていこうとする。ところがドアの前までいったところで、絨毯に食べられてしまった。なんだかテーブルがそれを見て、少し飛び上がった気がした。私が絨毯のはじを踏むと、踏んだ所のまわり十センチ四方ほどが「ギャッ」といって天井に駆け上がって、そこから毛を逆立ててこちらを見た。茶色の目をしていた。坊主科学者は至福の表情で坐禅を組んでいる。頭から芽が出ている。よくよく見ていると、かすかに震えながら肉眼でも確認できるほどの速度で成長している。腕を毛虫が登っていたが、こちらをみて「えへっ」と笑うと、ポン、と五匹のチョウチョに変身して飛びさった。老人はすっかり白骨化して、小鉢に突っ込んだ箸をゆらゆらさせていた。もう煮豆は残っていない。摩擦ですべて粉末になり、とんでいってしまったらしい。カリカリと虚ろな音がしている。ガイア貴婦人は例によって踊り狂っていたのだが、椅子に飛び乗ったとたんに椅子がとびのいて、床に転げ落ちてしまった。起きようとしてテーブルに頭をぶつけ、無理に頭をあげたから頭が引っかかって、また半回転した。起き上がってびっくり。顔のネタももう尽きたのか、そこには顔がなかった。のっぺらぼうというにもまだ足りないものがあった。とにかく何もないと思っていたら、体が溶け始めて、液体だか、気体だか、よく訳の分らないものになった。渦を巻いているような、それでいて止っているような、ぼんやりとした光を放つなま暖かいものに変わった。私は用意された食事を前にして、椅子に座ったものかどうか迷った。いきなり椅子に飛び退かれて、頭でも打とうもんならたまらない。そう思っていたら茶碗に盛られていためし粒が二組に分かれて、食卓に溝を掘って塹壕戦を始めた。魚の骨が白い衣をまとってむかごの煮物と神の在り方について論じている。大根の千切りが腕立て伏せをはじめるに及んで、もはや食欲を喪失して部屋を出てしまった。

    八

 野戦病院には傷を負っためし粒が運び込まれてくる。軍医が弾丸を摘出した後で、傷口を縫合しようとして糸が恐ろしく太いのに驚いている。いくら手術用の糸とは言え、米粒の傷口を縫うには太すぎるようだ。魚の骨は祈りを捧げ、むかごの煮物は経文を読む。隆々たる筋肉で体を鎧った大根の千切りが、ニッと笑ってポーズをとっている。床は深い草むらになり、カマキリが蜘蛛をつかまえて食べようとしている。新たに皿に盛られたチャーハンが戦い始めるのではないかと見ていたら、皿がバクンと閉じてチャーハンを全て食べてしまった。スープの中をタマゴが泳ぎ、それを見たフカヒレが昔日の自らの姿を思い浮かべ、静かに目を閉じている。
 老人は化石になっており、もっていた箸はとっくに腐って無くなってしまった。右手が左手の上をゆらゆらしている。カオスと化した貴婦人はどこかと見回したら、部屋の隅の方にもやもやがあるようだった。そのまわりには熱帯の植物がはびこり、虫や小動物が苛烈な生存競争をしている。坊主科学者はと見ると、頭の樹が大きく成長して、堂々たる樹木になっていた。私は気分が悪くなって呟いた。「訳が分らない」すると、化石老人がいった。「私には分かっている!」坊主科学者がいった。「私には分かっている!」カオス貴婦人がいった。「私には分かっている!」私はもう嫌になって、カオスの中にテーブルを投げ込み、化石をたたき壊し、坊主の樹を蹴倒し、ついでに自分の首も蹴倒した。

ああ、これでつじつまが合った。