以下、ヒーニーの出版された書籍を概観する。なお、書名の邦訳は多く
『シェイマス・ヒーニー全詩集1966〜1991』Seamus Heaney著
村田辰夫・坂本完春・杉野徹・薬師川虹一 訳 国文社1995を参考に
したが、同書が挙げる邦訳が単に言語の読みをカタカナで記しただけの
安易なものについては、これを取らず、別の書籍に邦訳が見える際はそ
れを参考にし、それが無いときは、正しいかどうか不安ながら、疑問符
付きで拙訳を記した。また引用元文献は略号で記す。略号は以下の通り。
◆『ナチュラリストの死』(Death of a Naturalist)1966
これだけでグレゴリー新人賞(Gregory Award for Young Writers)・ジェフリー
フェイバー賞(Geoffrey Faber Prize)・サマセット・モーム文学賞(Somerset
Maugham Award)の三賞を受賞している。華々しい登場の仕方といえよう。後述する
が、ヒーニーはこの詩集に出版の話が持ち込まれた時点で、既に相当喜んでおり、さらに
続けざまに与えられる賞を、幼いMichaelに頬ずりしながら嬉しがったのではないか。
ノーベル賞を断ったサルトルなどと比べると、何か微笑ましい。
『スーパーニッポニカ2003DVD』はヒーニーについての著者署名の無い文章で「少年
時代の思い出やアイルランド農民の風俗など土への愛着を歌いあげた(DVD)」と述べる
が、「少年時代の思い出」は「アイルランドの田舎のどちらかというと怖い自然を相手に
した(N'sP)」ものであり、また「アイルランド農民の風俗」とは訣別するような詩が
多く、一概に「愛着」と述べて片付けることはできまい。
また「詩人としての彼のマニフェスト」すなわち自分の西欧文化からはずれた立場を、ギリ
シャ・ローマ古典文化とのずれを意図的に利用し表明した戦略的・挑発的な詩集でもある。
「詩人としての彼のマニフェスト」が何を指すかは検討の余地が大いにあり、ペンを持ち
詩を書くことが自分の主張のスタイルなのだというマニフェストと取ることも可能だが、
本レポートはこの見方を『北』以降の詩人と第一詩集の詩人を混同したものではないかと
疑う。その証拠として、やや薄弱ながら、『ナチュラリストの死』において明らかにアイ
ルランドの受難を題材にした二つの詩『At a Potato Digging』『For the Commander
of the 'Eliza'』には詩人の道具がペンであるといった類の宣言は現れず、むしろ父祖の仕事
である農牧や、彼の少年時代の思い出を語るとき、それとの訣別を語る形でペンが現れること
が多い事実を指摘しておこう。
'Naturalist'が何を意味するのかは、多分に不明な部分が多いようである。研究者の著作
にも、このテーマに触れるときには戸惑いの色が認められる。
また、この第一詩集以来、ヒーニーはイギリス・ロンドンのFaber社から全ての詩集を出版
している。アイルランド共和国のダブリン出版はFaber社より先に詩集出版の話を持ちかけ
ていたが、のらりくらりと話を進めず、ヒーニーは諦めて後発のFaber社と話を進めること
に決めたらしい。つまりヒーニーは最初、アイルランドではなくイギリスで認められたと
言える。
Faber社からの手紙を、ヒーニーは「まさに信じがたい思いだった。まるで神様からの手紙
のようだった(『シェイマス・ヒーニー全詩集1966〜1991』所収の註が、コーコラン著
『シェイマス・ヒーニー』Faber社 から引用したものの再引用)」と述べているようだが、
この喜びようから推測するに、ヒーニーは1964年末の、聖ジョセフ教育大学講師の職を持っ
た後の段階でも、まだまだ自分の立場に安定を見出せず、詩人として売り出すことに賭けて
いたのかも知れない。ヒーニーは大学講師では満たされない何を求めていたのか? 興味深い
主題である。
◆『闇への扉』(Door into the Dark)1969
清水重夫著『シェーマス・ヒーニー ナチュラリストのパラダイム』「シェーマス・ヒーニー
考」は、紙幅の都合か、「第一詩集の延長と考えられる詩集(N'sP)」と簡単に片付けている
が、『シェイマス・ヒーニー全詩集1966〜1991』所収の註はヒーニー自身の説明を引用しつ
つ、この詩集が個人の内面へのDoorであると同時に、ヒーニーの詩の世界へのDoorでもあり、
「言わばヒーニーの詩論集」「第一詩集の解説」(ともにCP)であると述べる。
◆『冬を生き抜く』(Wintering Out)1972
清水重夫著『シェーマス・ヒーニー ナチュラリストのパラダイム』「シェーマス・ヒーニー
考」は、『冬を生き抜く』出版を含むこの時期の活動を、北アイルランド紛争についてヒーニー
が詩の形で何らかの意見表明を求められていることと相反することと捉えているようである。
『シェイマス・ヒーニー全詩集1966〜1991』所収の註も、この詩集が「後に続く詩集『北』
に見られるような激しい意思の表明はない(CP)」と認めているが、こちらは「この詩集の
世界はそれ自体、苦悩の激しさを示しているようである(CP)」と多少の留保もする様子で
ある。いずれにせよ、この詩集を中間段階として、『北』で大きな転換が図られる、という
図式は研究者間にもコンセンサスが成立していると見て良いらしい。
前述の「註(『冬を生き抜く』)」は、続けて「その苦しみを乗り越える際の一つの方法と
して詩人が選んだ道は、生まれ育った土地が不思議な言葉で語りかけてくるのを、全身を耳
にして聞き取ろうとすることであったといえる。「アナホリッシュ」「雨の贈り物」「土地」
「トゥーム」「ブロッホ」「お告げ」などはこの時期のヒーニーの姿をよく示すものといえ
よう(CP)」と述べるが、要するに、この頃から文字の形状や単語の発音、その語源などを、
詩の題材に使い始めたという事である。アイルランド語の発音に詳しくない者や、地名や語源
を知らない者、言葉への興味が希薄な者にとっては理解しにくい詩が増えてくる。清水重夫著
『シェーマス・ヒーニー ナチュラリストのパラダイム』「シェーマス・ヒーニー考」はアイ
ルランド人研究者デズモンド・フェネルのヒーニー研究を紹介しているが、フェネルが言う
「最近の詩は言葉の使い方を含めて明確ではなくなって、学者がよく調べてやっと喜ぶような
ものしか書かなくなっている」という批判は、一部はこうした詩に向けられているのではない
か。
なお、この詩集に収録された『The Tollund Man』の第一聯でヒーニーは1950年デンマーク
で発掘された一体のミイラについて、いつの日か見に行こう、と述べ、実際にグランモア時代、
デンマークを訪ね、この約束を果たしたらしい。以降、詩の中にくり返しBog Peopleが登場
するところを見ると、このアイルランド紛争の象徴を、ヒーニーはかなり気に入っているのだ
ろう。
◆『北』(North)1975(*26)
誰もが認めるヒーニーにとって重要な詩集。「古代社会の犠牲祭と現代の北アイルランド紛争
を重ね合わせ、民族の悲劇を象徴的に表現した(DVD)」つまり、第1部でいよいよ Bog People
が詩の中に溢れ出す。第2部は現代アイルランドのキーワードが並び、現状についての彼の
判断(アイルランド紛争を産みの苦しみであると述べることを、ヒーニーは拒否する)が明確
に述べられる。
◇『Stations』(停留所?)1975
散文詩集。研究書の中でも、コメントされることが少ない。ヒーニーがわざわざ慣れ親しんだ
スタイルではなく散文の詩集を出したことからは、何らかの学ぶべき事があるのでは、とも思
えるのだが。なお清水重夫著『シェーマス・ヒーニー ナチュラリストのパラダイム』「シェー
マス・ヒーニー考」は「ヒーニーの詩の魅力は、その短さと叙情性にある」と述べる。だらだら
続く散文詩には目をくれないという事か。
題にある「Stations」が何を意味するのかは気になる。9年後に出版する『Station Island』
の「Station」とは関係があるのか。どうやら死者が此岸と彼岸の途中で留まってこちらを振り
返る、そんな場所を指している言葉なのでは、とも思われるが、本レポートの主題は主に初期
作品にあるので、どちらの詩集も読まなかったし、深い追求もする暇がなかった。
◆『自然観察』(Field Work)1979
『北』において「展開した紛争への姿勢を彼なりのやり方で広げている(N'sP)」詩集で、
「政治的動乱(中略)に対峙する詩人と、グランモアに引きこもり内面を静観する詩人と、
更にその狭間で揺れ動く詩人とが葛藤している(CP)」
また、「第一詩集『ある自然児の死』の続編として、ヒーニーはこの詩集を世に問うたので
あろう。表題作「自然観察」はいわば詩人の施政方針演説といえる(CP)」との評があった
が、きちんと読む暇がなかったこともあり、よく分からなかった。
◇『詩選集1965-1975』(Selected Poems 1965-1975)1980
ヒーニーは二度、選集を編んでいる。詩を配置し直すことで、新しい意味が生じる。
詩の配置の仕方にも、意図が込められているらしい。
◇『Preoccupations: Selected Prose 1968-1978』
(詩の役割? 没入すること、あるいは先入観の意?)1980
評論集。
◇『The Rattle Bag』(おしゃべりカバン?)1982
Ted Hughesとの共著。アンソロジー。ヒーニーの作品というよりは、編集したものか。
◇『彷徨えるスウィーニー』(Sweeney Astray)1983(*27)
アイルランド語詩劇の翻訳。しかしただの翻訳仕事に留まらず、ヒーニーはこれに強い
インスピレーションを得たようである。スウィーニーは冒涜の罪により発狂し鳥と化して
彷徨った王。正常から外れた周縁に位置する者、鳥の視点、そういった要素がヒーニーの
詩に反映されているらしい。
◆『Station Island』(ステーション島? 滞留の島?)1984
ドニゴール州ダーグ湖にStation Islandという島がある。聖パトリックの聖跡であり、
聖パトリックの苦行に因んだ巡礼の習慣がある。この元となった聖パトリックの苦行も、
またそこから生まれた巡礼の一行程も「station」と呼ばれるそうである。死者との出会い
が次々と描かれる。第3部はスウィーニーを表題とする。ヒーニーは自分をスウィーニー
と重ねているようである。その第一詩「The First Gloss」は、4行一聯という短さの中
に、第一詩集『土を掘る』を彷彿とさせる第一行、そして乱れた筆跡を正当化する(発狂
した王、スウィーニーに希望を見出す詩集の内容を予言するものと読める)内容がコンパ
クトに収まり、力強い宣言となっている。(*28)
以上第一詩集から第六詩集までを概観すると、第二詩集は第一詩集の延長・解説で、
第五詩集と第六詩集は共に明確な第一詩集への回帰を示している。すると第三詩集を
ステップとして第四詩集が打ち出した方向性は、単発で終わった動きだったのか?
という疑問が頭をもたげる。
◆『サンザシの提灯』(The Haw Lantern)1987
清水重夫著『シェーマス・ヒーニー ナチュラリストのパラダイム』「シェーマス・
ヒーニー考」によれば、「子供時代への回帰を主題とする(N'sP)」詩集と言うこと
になる。描かれる情景の点では確かに幼少期の風景が多いが、『シェイマス・ヒーニー
全詩集1966〜1991』所収の註は「これまでの土へのこだわりが少しずつ変化する兆し
が見られる。沼、泥炭、ポンプ等がヒーニーの描く風景のなかから姿を消し、ヒーニー
の風景の描き方が変化し始める。それは風景描写にアレゴリーの方法をかぶせる手法で
ある(CP)」と変化の方を強調している。
◇『言葉を慎む』(The Government of the Tongue)1988
評論集
◇『新詩選集1966-1987』(New Selected Poems 1966-1987)1990
2冊目の選集。
◇『トロイの癒し』(The Cure at Troy)1990(*29)
ソフォクレス『フィロクテテス』の翻訳。劇台本。
◆『ものの奥を見る』(Seeing Things)1991
『シェイマス・ヒーニー全詩集1966〜1991』所収の註は『サンザシの提灯』で直面
した近親者の死を乗り越え求道の旅に出るというヒーニーの決意表明だと捉える。形式・
内容とも古典からの引用を駆使し、才気煥発ぶりを遺憾なく発揮したようである。一方で、
その当否はともかく、「本作のヒーニーは指令的」と批判も受けたようである。
以上、レポート執筆者がフェネルと同じく背景知識を要求しない、一読してその心を
掴める詩を志向することから、後半の詩集に関するフォローが等閑になったが、とり
あえず以上で作品鑑賞の背景知識収集は打ち切ることにし、『Personal Helicon』の
読解に進みたく思う。