はじめに

 今回のレポートはシェイマス・ヒーニーを扱うことにした。動機は、講義で
自分が扱ったのがたまたまヒーニーだったから、というだけでなく、ヒーニー
という人物、その創作に興味を持ったことが大きい。というのも、この詩人が
以下に挙げるいくつもの点で、他人事とは思えないものを持っていると感じた
からである。第一に、ヒーニーの詩は五感を総動員して読者に鮮やかなイメー
ジを喚起するものである。第二に、ヒーニーの詩はしばしば記憶を描く。第三
に、ヒーニーの詩は少年の心の闇を見つめる(そして愛でる)ような部分があ
る。第四に、ヒーニーは個人として「温和」と言われることが多く、家族関係
は比較的円満に見え、概してロマン派詩人以来現在まで受け継がれる「神経質
で家族関係にも恵まれない悲劇の主人公」といった詩人のイメージからは逃れ
ているように見える。第五に、ヒーニーは教育に興味を持っている。
 実はお恥ずかしいながら、私も拙い詩を書くことがある。そして、以前には
五感がよく盛り込まれている点が素晴らしいと言われたこともあるが、近頃そ
ういった側面が等閑になっていたと、ヒーニーの詩を読んで感じた。ここでも
う少しヒーニーの詩を詳しく読み、活き活きとした表現の感覚を取り戻したい
と思った。また私の詩は記憶を描き出すとき、特に精彩を放つとも言われたこ
とがある。この点でもヒーニーの詩を読み直してみたく思う。第三点目と第四
点目は相互に関係しているように思われる。すなわち光を求めたロマン主義詩
人達が、多く短命に終わったのに比べ、闇を見つめるヒーニーが長寿で家庭に
も恵まれている、この二つのことには関係があるのではないか。関係があると
すれば、自分もヒーニーにあやかりたいものである。詩才は大したことがない
のに、死に方だけジョン・クレアと同じでは、割が合わない。第五点目の教育
の問題は、東京大学の教育学部以外の学科に進んでいながら教育に興味を持ち、
その道に進むつもりでいる私にとっては気になるテーマである。
 以上のようなわけで、このレポートはヒーニーの人物・創作の秘密への興味
から書かれており、そのためヒーニーの生い立ちに多くの紙幅を割き、その人
物像を明らかにすることに務めた。客観的な情報からでは確言できない詩人の
横顔について、根拠の薄い想像・洞察の類も、敢えて避けなかった。
 ただし上記のような興味は、当然、かなり詳細な研究によってしか明らかに
されない。本レポートにおいては、上記の興味が全て充分に明らかにされない
ということを、前もって謝罪しておかねばならない。本当にこうした主題を追
求するのであればヒーニーの作品は一通り原書で目を通し、さらにヒーニー自
身の論文、エッセイ、講演記録等にも目を通すべきだが、今回は三冊の解説書
に頼り、それ以上の追求は諦めた。

 本レポートは4つの部分からなる。第1部はヒーニーについて、特に若い頃
に注目して生い立ちを纏め、いくらかコメントを加える。第2部はヒーニーの
作品について、詩集単位での批評を各所から引用して纏める。この2章でヒー
ニーの詩作の始まりと、その展開を概観したい。第3部は具体的な作品の鑑賞
である。Personal Heliconを選んだ。この詩が本レポートのテーマにとり興味
深い内容を含んでいそうだと考えたこと、第一詩集ならば、ヒーニーの創作の
原点に近いと言えるであろうこと、および新しい詩を浅く読むよりは、講義で
扱った詩をもう一度深く読み込むことが有効であろうと考えた事による。第4
部では本レポートの考察を総括する。