3.Ode to the West Wind

 全体は5聯から成り、各聯は14行から成り、短いながらすべてテルツァ・リーマ
(terza rima)形式の「aba bcb cdc ded ee」という形で韻を踏んでいる。イギ
リスで書かれたこの形式の詩としては最も成功していると言われ、技巧の人シェリー
の本領発揮と言うべきであろうか。

 嵐の前の西風の様子が勇壮に歌い上げられていて迫力がある詩である。西風は
第一聯において「Destroyer and preserver」と呼びかけられることから分かる
ように、詩全体を通じて両義的存在として描かれている。それと平行するように、
詩そのものも正負両面のない交ぜになった言葉が綴られてゆく。そして第一聯から
第三聯までは陸、空、海の情景が次々と描かれ、第四聯で突如作者が作中に現れ、
叶わぬ希望を、ついで第五聯で願いを述べ、力強く絶望を乗り越えて希望を歌い
上げる箴言風の行で終わる。
 各聯を見ていくが、第一聯は八行目までは病的な、あるいは死や魑魅魍魎の類を
連想させる言葉が殊更に数多く用いられながら、九行目にThine azure sister of
the Springが登場すると、一転美しい情景が歌い上げられる。嵐の前の期待と不安
の混じり合った、奇妙な興奮が描き出されて詩の世界に引き込まれる。
 第一聯が地上の様子を歌い上げると、第二聯は空(と海)の情景に移る。マイナ
デスの髪に喩えるなど荒々しく不穏なイメージを掻き立てつつ、天空と大洋のboughs
(実りの象徴)や女性の豊かな髪など、豊饒なイメージを大胆に(空一面に、地平線
近くから天頂まで)繰り広げ、そして再び聯の後半からイメージを転換し、一気に
不吉なイメージへ突き落とす。負のイメージから正のイメージへ、そして再び負の
イメージへという急激な上下動は、嵐の激しい気流の流れを写すかのようである。
 第三聯は再び情景を一転して、海を描く。海はかの文明揺籃の海、地中海である。
その描写は全て嵐によってかき乱される運命のものとして描かれるが、読者の視線は
むしろ光と波の戯れる地中海の風光明媚に奪われるであろう。その描写はアルベール・
カミュの『Mediterranee』を彷彿とさせる美しさである。しかしwaken、Quivering、
wave's intenser dayなどの言葉が破局の気配を伝え、緊張が高まると、一気に海を
引き裂いて嵐が吹き荒れる。海底が見えるほどに海を引き裂く様はモーセの出エジプト
をイメージさせるが、これは特別意識されているわけではないかも知れない。

(Web掲載時注:教官曰く「意識しています」とのこと)

 第四聯で詩人は、自らを既に子供のころの純真を失い、いまや人生の桎梏に苦しみ
血を流していると訴える。20代も後半になって、枯れることもなく尚もこれほど
生々しい傷を歌うところは、さすがシェリーである。
 第五聯は第四聯での訴えがきわまり、祈願となる。詩人は嵐が森の木々を揺さぶる
ように、我が身を揺さぶれと風に呼びかける。そして風と一体となり、その力を得て、
詩人は己の思想を、言葉を、多くの人々に届けようとする。そして「冬来たらば春遠
からず」という有名な一語で人生の桎梏に喘ぐ己の再生を信じ、詩を終えるのである。


 『Ode to the West Wind』に込められた思想だが、シェリーが長編詩で追求して
きた愛の法則は、ここでは(少なくとも明確な形では)扱われていない。しかし既に
見た4本の長編詩との比較は可能である。すなわち、既に見た4本の長編詩に幾度と
なく見出された「敗北する高徳の士」という主題について、このオードがひとつの
ヒントを与えてくれているのである。
 シェリーがなぜ己の想像した主人公達に繰り返し受難を要求するのか、それがいま
いち明かでなかったが、この『Ode to the West Wind』の結句が「If Winter comes,
can Spring be far behind ?」すなわち冬という受難の後には、必ずや春が訪れる
ことを述べているのである。
 物語詩に於いては、主人公達が経験する苦難は、物語の筋書き上降りかかる事件で
ある。そこでは主人公達は劇的状況におかれ、通常ではあり得ないような形で苦難に
立ち向かう。すると、シェリーがなぜこのような思想を持つに至ったのか、シェリー
の肉声が聞こえてこないのである。その点、『Ode to the West Wind』にはシェリー
自身の言葉が含まれている。シェリーという人物は一見明朗快活に、いつでも年という
ものを知らずに社会改良に燃えている、永遠の少年の如く感じられる。ところがこの
作品に登場する詩人は、もはや生活に倦み疲れ、西風の力によってエネルギーを取り
もどさんと願う、人生の苦痛を味わった青年なのである。

 恐らく、シェリーが繰り返される劇中人物の受難を通じて述べたかったことは、ごく
普通の苦悩を経験し、そうすることで愛を基調とした寛容な道徳に目覚めるべきだとい
うものであったらしい。プロメテウスの3000年に及ぶ苦難は、単にそれのロマン派ら
しい誇張表現に過ぎない。
 そして、どんな苦難があろうとも、詩人は必ず冬の次には春が来ることを信じている。
夭逝の天才詩人は、その実ごく普通の苦悩せる若者でしかなく、そして苦悩の果てには
必ず喜びに満ちた時間が訪れると、いつ終わるとも知れぬ苦悩に耐え、嵐に向かって叫
んでいたのである。

("Ode to the West Wind"原文はこちら