*1) 『文化の社会科学』講義ノート2004より
*2) 『文化生活』第1巻6月号「『文化生活』の公刊に就いて」
(『文化の社会科学』配布コピー2004より)
*3) 『文化の社会科学』講義レジュメ2004より
*4) 同上
*5) 同上 ただし「ヨーロッパ文化」「近世の文化」といった
用語も為されており、それは「physical scienceとmental
scienceの平衡のとれない」ものであり、「外面的機械的文
明に堕し来つた」と語られる。また一方で「文明を媒介にし
ない単に内面的な文化が抑々可能であらうか」と疑問を呈示
し「問題は寧ろ積極的に文化が文明に追着くこと、さうして
文明を支配することにあるのではないか」すなわち文明と文
化の両立を主張している。するとある場合には「文明」は
「文化」の精神的側面を失った一特殊状態の如く語られ、ま
た別な場所では「文明」は「文化」を媒介する「文化」の基
盤、前提の如く語られる。総じて論者ごとに、また同じ論者
の論中でも使用箇所ごとに「文化」「文明」の概念、相互関
係は微妙にぶれており、あまり厳密な図式に描くことはでき
ない部分もある。
*6) 『文化の社会科学』講義ノート2004より
*7) 同上
*8) 同上
*9) 同上
*10) 早坂忠著『スーパーニッポニカ2003DVD』「歴史学派」小学館2003
*11) テンニース、トーマス・マンについても『文化の社会科学』講義ノート2004より
*12) 例えばイコノロジーの祖とされる美術史家アビ・ヴァールブルク
は「俗物的な物質主義に染まったアングロ・サクソン文化に対置
されるのは、もちろん精神性の高いドイツ文化である」といった
考えに囚われていたが、「戦争が現実政治的な次元を捨象して、
ただちに異なる文化間の闘争と見なされてしまうところにすでに、
この時代のドイツ知識人に共通する抽象的な思考が表れていると
言うべきだろう」
(田中純著『アビ・ヴァールブルク 記憶の迷宮』青土社 2001)
*13) 『文化の社会科学』講義ノート2004より
*14) 同上
*15) George Hughes著 平石貴樹訳『ハーンの轍の中で』研究社2002
**) 第4問、第5問の回答は全面的に講義内容に拠りました。