オリエンタリズムとは、サイードによれば、オリエントが自らを
表現する能力がないことを前提とし、外部の人間がオリエントを代
表して語る言説を指す。(*14)すなわち、「オリエントには自己
を表現するだけの表現能力がないこと」「こちらがオリエントの代
理としてオリエントについて語ること」この二点が満たされたとき
「オリエンタリズム」との批判を受けることになる。
ところで、出会った他者について表象すること自体は、ごく自然
なことである。ヨーロッパ人がオリエントの文物に触れる。オリエ
ントとヨーロッパが確かに異文化であるなら、彼は自分の慣れ親し
んだものとは違う物事に感銘を受け、感銘を受けたなら、それを誰
かに伝えたくなるであろう。この欲求に、オリエントが自己を表現
する能力を持っているかどうかなどという事は関係ない。そしてオ
リエントが自己を表現する能力を持っていなかったとすれば、自分
こそはオリエントを代理して、この興味深い(あるいは素晴らしい)
文物を叙述しなければ、という気を起こすかも知れない。これはも
はやサイード言うところのオリエンタリズムだが、これは是非とも
批判されねばならないのだろうか。彼はオリエンタリズムに陥るこ
とを恐れて、緘黙せねばならないのだろうか。
日本はオリエントの一部として多くの西洋人記述者達を迎えてき
た。その中からオリエンタリストと目される二人の人物、ラフカディ
オ・ハーンとブルーノ・タウトについて考える。
ハーンは日本の国籍を取得し、日本人女性と結婚し、日本におい
て英語で書籍を執筆し続けた。そうして「ハーンが日本に関する書
物を著すことにおいて果たした大きな貢献とは何なのか。それは彼
が、日本を判断するに当たって、当時ほかの作家達が用いていた西
洋中心主義的な基準を採るのを拒絶したことである。ハーンは慣習
的な分析を拒絶した──彼は、人はみな、まず共感にもとづいた理
解をうける権利があると考える」「ハーンは日本の語り部になろう
とし、……自分は西洋近代の「恐ろしい不正義」と戦っていると考
えていた。」これは紛れもなくオリエンタリストの所作である。し
かし「産業化された西洋近代から見た「他者」として東洋の日本を
位置づけたやり方を、批判することはたやすい。だがそういった批
判は、ハーンという存在が生まれてきた歴史的文脈を見逃している。
彼の思考法は、その時代に典型的だった。しかも、二つの世界をはっ
きり分けるこうしたやり方は、彼にとって必要な戦略でもあった」
(*15)ここで我々がハーンはオリエンタリストではないと主張す
ることは困難だが、同時に彼が一定の役割を果たしたことを否定す
るのも難しい。また彼の日本の民話をまとめた著作は、民俗学的調
査にしては19世紀末の色彩が濃厚だが、独立した文学作品として
精彩を放っている。彼はオリエンタリストたることを恐れて、緘黙
せねばならなかったのか?
ラフカディオ・ハーンを見るうちに浮上してくるオリエンタリズ
ム無罪という結論は、しかし、ブルーノ・タウトについて考察を加
えるとき、再び沈降してゆく。タウトもまた桂離宮や伊勢神宮の美
を賞賛した者として日本文化の発見に一定の役割を果たしたと考え
られるが、彼の論を熱烈に受容した日本の知識人は、やがて「没落
する西洋文明に対置さるべき日本文化」という(おそらく)幻想に
囚われて、大東亜戦争という虚構を賞賛することになる。
オリエンタリズムが問題であるとしたら、それが現実に対し著し
い悪影響を与える事においてである。その点、タウトが第二次世界
大戦直前の日本の思想界に与えた影響がどれほどであったかは議論
の余地があるが、まったく無罪とも言い難い。恐らくオリエンタリ
ズムという概念に関して重要なのは、何でもかんでもオリエンタリ
ズムと決めつけて断罪することではなく、どこが、どの程度、どの
ように、オリエンタリスティックなのかを詳細に掴み、その危険性
を分析する事なのであろう。オリエンタリズムという概念には、何
でもかんでも攻撃できる便利なレッテルと化す危険がある。オリエ
ンタリズム批判はオリエントとオリエンタリストの間に一方通行の
関係を見出すが、オリエンタリストとオリエンタリズム批判者の間
に成立する一方通行の関係に政治性はないか。注意が必要である。