文化・文明という語はもとは漢語であり、明治以降ヨーロッパ言
語の訳語として多用されるようになり、二度の大戦の後に、それぞ
れ微妙にその意味を変えている。
もとの漢語としての意味は、平凡社『字通』によれば、以下の通
りである。
『字通』(白川静著 平凡社1996)
【文化】文物教化。前蜀・社光庭〔鶴鳴、枯樹を化して再生せしむる
を賀する表〕「陛下、圖に膺り運を啓き、紀を握り天を承け、文化を
修めて遐荒を服し、武威を耀やかして九有を平らぐ。」
【文明】文采のあること。文化の行われる世。宋・司馬光〔范景仁に
呈す〕詩「朝家の文明、及ぶ所遠し 今に於いて臺閣、尤も蝉聯(文
才相継ぐ)」
後のヨーロッパ言語の訳語としての「文化」「文明」の用法とは、
多くの点で違いが指摘できる。すなわちヨーロッパ言語の訳語として
の「文化」「文明」が、ある実体を名指す名詞的な語なのに対し、漢
語の「文化」は動作・動詞としてのニュアンスが強く、「文明」は個
人や時代の性質を表す形容詞的な語である。またヨーロッパ言語の訳
語としての「文化」「文明」には時間軸に沿った発展図式が埋め込ま
れているが、漢語の「文化」「文明」には善悪・進歩のニュアンスが
あったとしても、その善悪・進歩の時間軸に沿った配置はさほど明確
ではない。(むしろ、恐らく中華思想に基づく空間的な配置が強いの
ではないかと推察されるが、この点は検証しなければ確言はできない)
そして漢語の「文化」「文明」は「文/武」という対立図式を背景に
持っているが、ヨーロッパ言語の訳語としての「文化」「文明」は必
ずしも「武」を排除しない。
なお、他の辞書類には以下のように載っている。(明治以降の用法・
外来語の訳語としての用法も併記されている)
『大字源』(角川書店1992)
【文化】@武力や刑罰を用いず、文徳で人民を教化すること。
Acultureの訳語。人類の社会が野蛮から文明に進むこと。
世の中が開けて、学問・芸術などが発展すること
B(国語)文明開化の略。野蛮な状態から文明が開けた状態
に進歩する。
C(国語)年号。
【文明】@文徳が輝くこと。優れた学問や教養があること。
〔書・舜典〕「濬哲文明」〔経国・序〕
Aあや模様を備え、輝きがあること。
〔易・乾〕「見竜在田、天下文明」
B人知が進み、世の中が開けていること。(対語)野蛮
C(国語)年号
『新版漢語林』(鎌田正・米山寅太郎著 大修館書店1995)
【文化】@文徳で教化すること。力や刑罰を用いないで人民を教え導くこと。
A学問・芸術・道徳・法律・経済などが進歩して、世の文明が
開けてゆくこと。文明開化。
【文明】@文徳がかがやくこと。学問・教養があって、立派なこと。
A人知が進み、世の中の開けること。
これが明治以降、ヨーロッパ言語の「civilization」「culture」
「enlightenment」の訳語として、「開化」という語と共に用いられる
ようになる。当時出版された各種の辞書・辞典類を参照すると、「文化」
「文明」「開化」「civilization」「culture」「enlightenment」と
いった語を互いに区別する共通の基準は見られず、しばしば置換可能な
同義語として定義されているようである。(*1)
大正10年(1921年)に森本厚吉・有島武郎・吉野作造らが創刊した
雑誌「文化生活」においても、「文化」「文明」の二語を同義語として
扱っている様子が窺われる(*2)が、これに対して「文化」をドイツ語
「Kurtur」「文明」を英語「civilization」の訳語であるとし、この混
用を戒める論説(*3)が発表され、森本厚吉が「私は文化生活を論じる
時にそんな問題を詮議立つる哲學的取扱を避けて、文化生活でも文明生
活でも差し支ないから、現代に適應した進歩的の生活を實現せしめた
い……」と反論する様子が窺われる。(*4)すなわち、大正期まで
「文化」「文明」の混用は先端的な知識人の中にもごく普通のこととし
て見られる一方、この二語の意味内容を明確に弁別する動きも生じてい
たことが分かる。ここでは「civilization」の訳語としての「文明」は
単線的な発展図式を、ドイツ語「Kurtur」の訳語としての「文化」は文
化的多元主義に近い立場に立つ複線的な発展図式を背景に持つ点が重要
である。
この両概念の弁別に、さらに「西洋文明の危機」という言説が加わり、
価値判断を伴う「文化/文明」論が現れる。すなわち1942年「近代の
超克」論では「文明」という語をもっぱら「西洋文明」あるいは西洋文
明の摂取である「文明開化」というかたちで用い、この西洋文明が「そ
の頂点を過ぎて今や根本的転換期に遭遇して居る」「外面的機械的文明」
であり「physical scienceとmental scienceの平衡のとれない所に」
危機を内包していると述べる。そして日本は近代において西洋文明を乱
雑に摂取し混乱状況にあるが、西洋文明に対置すべき日本自身の「文化」
を確立しなければならない。その「根本となるのは精神の恢復」である
と主張する。すなわち単純に述べれば、西洋文明(文明開化)・外的・
機械(物質)といった概念を結びつけ、それに(日本)文化・内的・精
神といった概念を対置させ、後者により高い評価を与えるのである。(*5)
戦後になると憲法改正の勅語中に「文化」という語が用いられており、
それはかつて「civilization」の訳語として用いられた「文明」に通底
する単線的発展図式と、漢語の「文化」が有していた「武」と対置され
るものとしての、「文徳による教化」という意味が加味されているとい
う。(*6)また今日では一般的な用語においても「文化」が戦争と対置
される平和的・建設的なものとして捉えられているように思われる。一方
「文明」という語は今日「文明の衝突」「文明間対話」といった用例が
示すように、かつてのcivilizationの訳語としての「文明」がもってい
た単線的なイメージは薄れているように見える。
この一連の流れの中で、やはり興味深いのは「文明」「文化」が弁別
され、更に価値判断が明確に刻み込まれていく大正〜昭和初期の変化、
および戦後、「文化」が「平和」と結びついたメカニズムの二点であろ
う。「文明」「文化」の二語はともに、明治以来二度の大戦に至るまで、
政治・社会の要請によって人口に膾炙してきたが、その中でも上記二点
は社会の展開と深く関わる重要なポイントでありながら不明瞭な部分が
多い。すなわち前者においては、なぜ西洋文化は精神性を失いつつある
のに対し、日本文化の精神性が無垢の理想として称揚されたのか。同じ
時代にフロイト・ジンメルらは文化そのものの内に内包されている悲劇
を見出しており(*7)、また日本文化を称揚する理論を与えたひとりと
目されるブルーノ・タウトにしたところで、西洋風の文物を単純に取り
入れた日本の文明開化を批判しても、決して西欧の文明自体が精神性を
失っているの、危機に瀕しているのとは言っていない(*8)にも関わら
ず、である。シュペングラーの『西洋の没落』の影響を受けたにしても、
他の思想家の異なる思想ではなく、なぜシュペングラーなのかという説
明が与えられなければならない。ここにはやはり第一次大戦後の黄禍論
を前に、西洋文明とは異なる理想を探し求めようとする流れと、己を拒
否した西洋文明を貶めようとする心理が働いているように見えるが、こ
の心理がどれほど社会一般に浸透したのか、個々の思想家をどのように
動かしたのか、第二次大戦に向かう思想の流れと関係するだけに、詳し
く分析する必要があると考えられる。また後者について、この勅語中の
用語法に、「武」と対置されるような漢語の「文化」のニュアンスが読
み取られることは、天皇の勅語が文語体で書かれることを考えれば驚く
に値しないが、一般的にも文化が平和と結びつけられ、またしても無垢
の存在として描かれたのはなぜか。また大正から昭和初期にかけての
「文化」「文明」概念の変遷は背景にあった政治的・社会的要求が分か
りやすいが、今日における「文化−平和」概念が如何なる政治・社会的
要求によって生じたのか、これはいまいち明かではない。第二次大戦前
に日本の思想家達を奇妙なナショナリズムへと誘った不気味な心理が、
いま、「文化−平和」概念の背景に蠢いていないとは限らないのである。