本レポートは「世界の紛争状況について些かなりと有意義な知見
をもたらしてくれる」事を期待してポーランドの国境の変遷を眺め
ている。つまり、国境を巡る争いで多くの尊い命が犠牲になり、よ
り多くの悲劇と哀しみと憎悪が生じることを避けるため、安定的な、
対立を生じない、あるべき国境の姿(そんなものがあるとすれば、
だが)を模索したいのである。
(1) あるべき国境の姿?
本レポートの冒頭で「自然的国境と人道的国境(*13)」という
分類を呈示した。この分類が問題とするのは国境の形が何に基づい
て定められているかという事である。この分類に従えば、例えば第
二次大戦後のオーデル川やポーランド史を通じてさほど大きな変化
を見なかった南部国境、カーゾン線のブグ川と併走する北緯51〜
52度付近は自然国境、カーゾン線の大部分を初めとして、幾度も
書き換えられた東部国境の多くは人道的国境といえよう。しかし、
この分類にはさほど大きな意味はないように感ぜられる。本レポー
トは国境なるもののあるべき姿を模索しているが、自然国境であっ
ても人道的国境であっても対立の原因になることはあり、この分類
のいずれかが「あるべき国境」とは言えない。また、ポーランド・
ソ連の係争の原因となるようなヴェルサイユ体制下の東部国境が、
あるいは植民地宗主国の勢力分割の所産であるアフリカを引き裂い
た直線的国境線が、なにゆえ「人道的」なのか、いまいち良く分か
らない。
人為か自然かという分類は一応可能であるが、厳密に考えれば人
為的要素に基づいて引かれたと考えられる国境にも自然的要素が絡
んでいる可能性があり、多くの自然的境界線からひとつを国境とし
て選び取る際には人為が働いている。人為か自然かという分類は境
界領域において曖昧であり、またその曖昧さを厳密に調べたからと
いって、その結論が「あるべき国境」を保証するかどうかは定かで
ない。
(2) 民族自決? 歴史的正当性?
国境の決定を巡る理論に「民族自決」がある。しかし、この概念
があるべき国境の姿を単一に描き出すなどと心から信じる者はいな
いであろう。(*14)民族自決の主張に沿って国境を定める上では
2つの困難が存在する。第一に一個の民族が必ずしもまとまって居
住しているとは限らず、全ての国家はほぼ確実に少数民族を抱える
という事である。第二は、そもそも何を持って一個の国民と称する
かを巡って意見対立があり得る。ポーランドでは前者が常に問題と
なってきた。後者は(広義の)東欧圏では旧ユーゴスラヴィアに顕
著である。
また、国境の決定を巡る別の理論に「歴史的正当性」がある。こ
の概念も「民族自決」と同じく、限界がある。その限界を最も先鋭
に示すのはパレスチナであろうが、ポーランドでも二大戦の戦間期
に東部国境で多くの血が流されたのは、カーゾン線以東にも多くの
ポーランド人が住んでいたのに加え、リガ湾やウクライナの沃野な
ど歴史的にポーランドの支配下にあった土地への歴史的正当性の主
張があった。
これらの例における「民族自決」「歴史的正当性」の主張は、
誤った主張の仕方だったのであろうか。「民族自決」「歴史的正当
性」を正しい形で主張すれば、それは問題を起こさないのだろうか。
そうではない。民族自決にせよ歴史的正当性にせよ、そもそも正し
い主張の仕方というのが何なのかが不明瞭だが、その問題をおいて、
仮に正しいかたちの主張があったとして、その正しさを、国境を争
う当の国家が承認しなければ、そこには争いが生じるのである。
(3) 主観と主観の妥協・合意
ここに至って我々は主観というものの重要性に目を奪われる。可
謬の主観を抹殺して客観的正義を確立するなどという考えはまった
く見当はずれであり、ある国境が正しいか、受け容れられるかを決
定するのは、ただ一つ、主観である、と断言したくなってくる。確
かに歴史的正当性や民族自決といったイデオロギーに基づいて国境
が主張されるとき、そこには主観と主観の衝突がある。するとどれ
ほど慎重かつ公平に国境を確定したとしても、そこに争いの火種が
残されることはあるのである。
すると、我々はある程度正当性に沿った慎重な国境確定と同時に、
国境を正当なものと捉える主観の構築が必要であると気付くだろう。
確かにまったく不当な国境線を引くことは出来ないが、かといって
正当性のみを国境の根拠とすることも出来ない。主観と主観の妥協
と合意をどう成立させるかが問題なのである。
主観と主観の同意の方法については、東欧・ポーランドはやや特
殊な事例を示してくれるであろう。懲罰的なかたちでオドラ−ニサ
線を受け容れさせられ、しかもローマ法王をして激怒せしめた苛酷
な住民移住を伴った(*15)にもかかわらず、深刻な形で反発を示
すことの無かったドイツ。そして長年の確執にも関わらずソ連陣営
に加わり、現在に至るまで領土について不満を漏らさないポーラン
ド。これらの例を詳細に検討することが、今後の国境を巡る争いに
ついて何らかの知見をもたらすこととなろう。(ただしこの地域に
広く行われた「住民交換」の有効性、他地域への適用可能性は検討
を要する)
(4) 主観の主体
ここで国境確定における主観の役割を指摘したが、一国家の主観
が単一であるということはあり得ない。主観は個人に属するもので
あり、国家が個人の集合である以上、国家の行動は単一の主観では
なく、無数の主観の相互作用の中から成立する。国民一人一人の主
観を検討するわけには行かないが、国家を構成する主要なグループ
(民族・居住地・社会的階層等が考慮されるべきである)と国家の
方針に重要な影響力を有する個人(政治指導者・宗教指導者・地方
有力者・巨大産業の代表者など)について、別個に検討が必要であ
ろう。
(5) 客観的国益?
ここまで主観を強調してきたが、政治指導者や巨大産業の代表者
には、しばしば冷静な国益(特に政治的・経済的・軍事的見地から
見た国益)の検討から国境についての主張を導く傾向が強く見られ
る。もっとも何をもって国益とするかは主観に規定されるが、この
国益追求のための国境主張という側面を見落とすこともできない。
これらの主張は国家エゴを隠蔽するため、「民族自決」や「歴史的
正当性」あるいは他民族の保護といった主張を伴って行われる。
ポーランドの例では、第一次大戦直後に行われた拡張政策は東では
歴史的正当性、西では民族自決という異なる国境の論理のもとに行
われた(*16)とされるが、これらイデオロギーの背景に隠されて
いたのは、東では軍事的安全保障、西では経済的利潤であった(*17)。
またピウスツキとドモフスキの間でも国境を巡って意見が対立した
が、この際ピウスツキは軍事的安全保障の観点から東部の拡張政策
を推進したが、ドモフスキは同じ軍事的安全保障を考慮しながら、
ソビエトと衝突する危険性から、また単一民族国家を築くことによ
る政治的安定も考慮して、限定的な東進を主張した。またドモフス
キの方が、平和状態における国益を重視して経済的側面・政治的軍
事的安定に比重を置き、ピウスツキはあくまで戦闘状態の継続を前
提として対ソ国境に防壁を確保しようとしたと言える。戦前からの
両者の方針とも符合が見られ、個人が歴史に与える影響という問題
感心からも、興味深いものがある。
なお、これはポーランドの問題には限定されないが、旧ハプスブ
ルク圏東欧諸国の「国境」は経済を分断するよう作用したことも、
政治・経済・軍事的国益の検討上、考慮する必要があろう。