1.概観

(1) 国境なるもの
 東欧を巡る数々の興味深い側面の中から、政治的側面、その中で
も特に国境という主題を選んだが、具体的にポーランドを中心とし
た東欧諸国の国境について見る前に、そもそも「国境」とはどのよ
うなものか、「国境」なるものの周辺を概観しておく。
 本レポートが問題とする、ある理論に基づいて正当性が争われる
ような「国境線」は近代国民国家に特有なものである。(*1)従っ
て東欧の国境を主題とするならば、直接の考察の対象は東欧に近代
国民国家が成立して以降に限定される。そして、近代国民国家の国
境線の類型は、広部和也・成蹊大学教授によれば、2つに分類され
る。すなわち「国境には自然的国境と人道的国境があり、前者は、
河川や山の分水嶺等を利用したものであり、後者は、民族的な生活
区域や地図の上で直線的に分割されるような場合である(*2)」ま
ずはこの分類を受け容れて、東欧の風景を眺めてみよう。
 さて、東欧地域で近代国民国家成立以降、目まぐるしく変化した
国境線を見ていきたいが、この国境線の変化は国家の行動によって
生じるのであり、また衞藤瀋吉・渡辺昭夫・公文俊平・平野健一郎
著『国際関係論 第二版』によれば、「〔「国益」という概念の内
容が定かでないという留保はあるものの〕最も単純にいえば国益を
追求するのが一国の目標といえよう(*3)」この論の妥当性、およ
び、この論が妥当であるとすれば、ポーランドを初めとする東欧諸
国が何を国益として行動したか、これも見てみたい。

(2) 東欧・ポーランドの国境
 東欧の近代国民国家形成は西欧諸国にやや遅れ、19世紀を通じ
民族の自覚が高まり(*4)20世紀初頭の第一次世界大戦終結と共
に多くの国が独立・国民国家の体裁を整えたと考えられよう。ただ
し正確には国家ごとに多少の差異があり、殊に今回扱うポーランド
は古くから王国を形成し西欧諸国と関わってきたことから、ナポレ
オンのワルシャワ大公国建設、あるいは18世紀末のポーランド分
割以前にその近代国民国家としての起源を見ることも可能かも知れ
ない。そもそも近代国民国家という概念自体も定義の難しいもので
あり、いずれにせよ近代国民国家形成の時期を正確に特定すること
は難しい。ここでは近代国民国家の形成時期に一応の注意を払いつ
つも、敢えてそこに拘らずに国境の変遷を見ていきたい。ただし無
論、現代の国境紛争を視野に入れている以上、興味の中心は近・現
代の国境変動である。