(1) 診断基準
DSM−IVの診断基準(*4)を参照する。ここで注目すべきは基準
Aに「体験し・目撃し、または直面した(experience, witnessed,
or was confronted with 自身に降りかかった事として体験したか、
他者に降りかかった事として現場で目撃するか、あるいは体験・目撃
せずとも伝聞等の形で事実に向き合うことを強いられた)」という
内容が含まれることである。精神疾患の発生には一般的に患者本人
の内的要因(疾患への脆弱性や、周囲の精神疾患の原因となるよう
な対応を誘発する行動様式等)と家庭内・家庭外を含む環境要因が
関与するが(*5)、外部から降りかかる事件(外傷的イベンツ)の
存在が診断基準にまで含まれることが象徴するように、PTSDは多く
の精神疾患の内でも特異的に、環境要因が決定的な影響を及ぼす。
(これに対しADHDの診断基準Aには本人の行動様式が述べられて
いるのみである)
(2) 出現率
出現率に関する信頼できる資料を発見できなかったが、一生の間
の発症率は、その基準の採り方によって1〜5%、5%〜10%と
いった数字が散見される。なお子供における発症率を示す数字は
まったく発見できなかった。
診断基準の項で見たとおり、外部から降りかかる要因が決定的な
影響を持つため、PTSDの発症確率は犯罪率などと同様、社会に
よって、時代によって、大きな差が生じると考えられる。(*6)
(3) 原因
DSM−IVの診断基準に原因の一端(環境要因)は示されている。
内的要因としての外傷的ストレスに対する脆弱性の関与も想像される
が、そのメカニズムは未だ明かでない。(*7)なお、PTSDとして
総称される精神疾患は非常に多様であり、環境要因としての「実際
にまたは危うく死ぬまたは重傷を負うような出来事」の内容とPTSD
のタイプには関係があると見られている。原因とPTSDのタイプを
分類した例としては、ブランク(Blank, 1993)の急性、遅発性、慢性、
間歇性、後遺性、再発等のパターンに分類した論文やハーマン(Harman
1996)の児童虐待のように長期間続くものを事件・事故など一過性の
ものから区別し、それによって発症するPTSDも「complex(複雑型)
PTSD」と称して通常の「simple PTSD」と区別すべきとする論文など
がある。(*8)
原因となる外傷的イベンツについて、具体的には小西聖子著『トラ
ウマの心理学』が簡潔に纏めている。それによれば原因となる外傷的
イベンツには1.予測不可能性 2.コントロール不可能性 3.残
虐性・グロテスクさ 4.大切にしている対象の喪失 5.暴力性
6.客観的・主観的を問わず、その外傷的イベンツについて自己に
責任があると思われること 等がしばしば見られるとしている。(*9)
具体的な例として自然災害、人為災害、その他家庭内での事故、毒物
の関係する犯罪・事故の被害、暴力的犯罪、性暴力被害、児童虐待、
誘拐・捕虜・監禁、戦闘体験、親しい人の突然の予期せぬ暴力的な死
等が挙げられている。(*10)
子供のPTSDにおいては、日本の場合、戦闘体験はあり得ないが、
世界的に見れば少年兵の問題もあるので、子供に関しても、これら
すべての事例について該当する可能性がある。当然の事ながら、事件
の内容、衝撃の強度、事件状況の継続時間などによって、その事件に
直面した人のPTSD発症率・重症度も変わる。
なお、ナチスの強制収容所経験者にはほぼ100%の確率で何らかの
症状があらわれた上、経験者の子供にもPTSDになりやすい傾向が
観察されたとする報告がある。(*11)これは恐らく経験者が心理的
に不安定であることが、その子供に養育環境の面から悪影響を与えた
結果であろう。
(4) 症状と経過
症状はDSM−IVの診断基準B、C、Dの三項目に纏められた内容、
すなわち1.再体験 2.回避・麻痺 3.過覚醒 に分類され、
このすべてが観察される場合をPTSDと称する。患者ごとの多様性が
幅広く、再体験のトリガーや回避対象、覚醒時の行動などを細かく
分類すれば、無数のバリエーションがあり得るであろう。なお子供の
PTSDにおいて難しいのは、あまりに幼い場合、症状の現れ方が不明確
(漠然とした恐怖や興奮を示すだけ)であったり、特殊的(遊びのなか
で外傷的イベンツを再演するなど)であったりし、また言語が操れない
ために言語化できなかったり、多少の言語能力があっても外傷的イベンツ
と症状を結びつけられなかったりする場合があることで、専門家にとって
も診断上の困難がある。
また暴力(含性的暴力)の被害にあった場合、人間不信から症状を隠す
可能性もあり、専門家のもとに連れてこられる前の段階が問題となる場合
もしばしばあると考えられる。
時間的経過についてだが、症状が1ヶ月以上持続していることを条件
とし、さらに症状の持続期間を3ヶ月以上と以下で慢性と急性を分類
する。また外傷的イベンツの直後に、多くの人が一時的に示す症状を
ASD(Acute Stress Disorder)と総称し、PTSDとは区別する。
(*12)特に児童虐待など外傷的イベンツが長期にわたった場合に顕著
であるが、治療は極めて長期にわたり困難を伴う場合がある。(*13)
また他の症状との合併も極めて多く(*14)、繰り返される再体験を
苦に自殺願望を持つなど緊急的な介入が不可欠な場合もある。さらに
性犯罪被害が原因であったり、外傷的イベンツの後に周囲の対応で
傷ついた経験がある、幼少時よりの長期にわたる虐待で基本的な他者へ
の信頼感が損なわれている場合等、周囲にPTSDの症状を訴えることが
できないまま症状を悪化させる、鬱病などと合併症を引き起こすといった
経過を辿る場合もある。