II. 作品詳説

※ここではシェイクスピアの作品のうち、新潮文庫に収録された作
品を中心に、同文庫の「解題」「解説」を参考に製作年代、当時の
出版事情と定本、製作の種本となった他の作品、および各作品の雰
囲気、テーマ、込められた思想などについてまとめる。

28. 『あらし』

(1) 概観
 この作品の後にもシェイクスピアの手が加わった『ヘンリー八世』
があるが、これはシェイクスピアが未完に残したものをフレッチャー
という男が補筆し完成したものであって、シェイクスピア最後の作品
はこの『あらし(The Tempest)』であると言って差し支えない。
凄まじい嵐に始まり、プロスペローの島で妖精たちが引き起こす不可
思議な出来事が続き、プロスペローが己を裏切った人々を許し、その
愛娘とナポリ王子の結婚を認めて幕を閉じる。魔術を捨てたプロスペ
ローの最後の言葉は、劇作家シェイクスピアの最後の言葉ではないか
とも思われる。シェイクスピア作品中唯一、事件・時間・場の一致と
いう、いわゆる三一致法則に則った作品でもある。

(2) 作劇年代
 福田恆存氏の新潮文庫『夏の夜の夢・あらし』解題によれば、作品
中に1610年秋以前には知られなかった内容があるため、1610年以前
の完成ということは有り得ない。1610年秋の新事実というのは同書
解題の別の章で紹介されている、バミューダ島の話であろう。1609
年新大陸ヴァージニア植民地を目指して出発したイギリスの帆船がバ
ミューダ島で座礁し、本国では乗員全滅と信じられた。しかしバミュー
ダ島の温暖な気候の中で十ヶ月を生き抜き、小舟でヴアージニアに無
事到着したのだ。彼らの奇譚はその秋に本国にもたらされ、『あらし』
もこの漂流記を記したパンフレットを参考にした部分があるという。
 遅くて何年までに完成していたかということだが、王室宴会会計簿
中に二件ほど参考になる記述がある。一件は1613年のもので、エリ
ザベス王女(エリザベス女王没後王位についたジェームズ一世の息女)
の婚礼の席で演じられた戯曲の中に『あらし』が含まれている。この
資料は信頼できるとされている。
 もう一方は1611年のもので、万聖節ジェームズ一世の御前興行で
『あらし』を上演したとある。ただしこちらの資料に関しては1842
年の発見当時から長らく贋作の疑いをかけられていて、20世紀に入っ
て本物であるとする信頼できる意見が提出され、ほとんどの学者が認
めるようになったものの、未だ完全に立証されたとは言い難い。とも
あれさほどひどく年代がぶれるわけではないので、ここは1611年〜
1612年頃と捉えておけばよいであろう。

(3) 出版事情・定本
 第一二折本全集が最初の出版であり、かつ作者原稿から直に起こさ
れた版らしい。『アントニーとクレオパトラ』と状況は同じである。
ただシェイクスピア自身の手になる改稿を経ているかどうかという議
論はあり、ウィルソンが改稿論、アーデン版の編者フランク・カーモ
ンドーは非改稿論であるとした上で福田氏はウィルソン説を支持し、
その一部を紹介している。本レポートにはさほど関係がないので簡単
にまとめるが、まず登場人物の過去が語られる第一幕第二場が長く均
整に欠き、どうやらその前にあった過去を見せる部分を削除し、台詞
による説明で補ったのではないかと思われる。またほとんど台詞のな
い人物などもいて、改稿前にはもっと役割を与えられていたのではな
いかと考えられる。さらに先述の王女エリザベス婚礼のために書き足
したと思われる唐突な仮面劇が含まれるなどである。

(4) 種本となった作品
 『夏の夜の夢』と共に、種本らしきものが見当たらない作品とされる。
ただし本作の場合は南ドイツのニュルンベルクでシェイクスピアと同時代
の作家ヤコブ・アイラー(1543~1605)によって書かれた戯曲『美しき
ジデア姫』が、二三の固有名詞や大まかな配役などで酷似しており、イギ
リスの役者がドイツまで出向いて興行する習慣があったこと、またアイラー
がイギリスの劇団を通じてエリザベス朝の演劇の影響を受け、それをドイツ
に紹介した人であったこと等を考え合わせると、両者に何らかの関係があっ
たとしてもおかしくない。だが『美しきジデア姫』が『あらし』の下書きに
なったとする根拠は何もないし、逆に『あらし』が『美しきジデア姫』に
影響を与えた可能性すらある。福田氏の不熱心な書きようから察して、
表現や細部に関しても明確な貸借関係は見られないのであろう。