※ここではシェイクスピアの作品のうち、新潮文庫に収録された作
品を中心に、同文庫の「解題」「解説」を参考に製作年代、当時の
出版事情と定本、製作の種本となった他の作品、および各作品の雰
囲気、テーマ、込められた思想などについてまとめる。
25. 『アントニーとクレオパトラ』
(2) 作劇年代
作品登録は1608年中頃に行われており、また本作を作品に取り入
れたと分かる他作家の戯曲が二編存在する。そのうちの一編『クレオ
パトラ』は1594年刊行のものを1607年に改訂して出版しており、
この改訂の際に、明らかにシェイクスピアを参考にした手入れがな
されている。もう一方の戯曲『悪魔の特許状』は毒蛇を用いた殺人
に関してシェイクスピアを踏襲した毒蛇の用法、クレオパトラへの
言及があるというが、初演が1607年初頭、「読者のための増補改訂
新版」と銘打った初版が1607年秋となっている。我々が目にするの
はこの「読者のための増補改訂新版」の方で、初演時からシェイクス
ピアの影響があったものか、「読者のための増補改訂」の際に加えら
れたのかは定かではない。が、いずれにせよ1607年まで遡る。
また『マクベス』第三幕第一場でマクベスが「アントニーの守護神
はシーザーの前に尻ごみしたと言われるが、ちょうどそれと同じだ……
vとあるが、これは『アントニーとクレオパトラ』第二幕第三場での
占師の台詞「(略)……お前様の守り神のお前様の魂は、常に高邁、
活気みなぎり、猛くして周囲を圧するの概がある、が、傍にシーザー
在るときは、そうはゆきませぬ。その近くにあっては、お前様の守護
天使に恐怖の影が宿り、始めからけおされてしまいましょう。されば
こそ遠く離れているに越したことはありませぬ。」で用いられること
になる、プルタークの一節をとったものであろうと思われる。すなわ
ち『マクベス』制作中に既にシェイクスピアは『アントニーとクレオ
パトラ』の種本となるプルタークの『対比列伝(英雄伝)』に目を通
し、恐らく『アントニーとクレオパトラ』の構想を練っていたのだろ
う。
以上を総合すれば、1606年から1607年頃の作という結論が導かれよう。
(3) 出版事情・定本
四折本での刊行はなく、第一二折本全集ではじめて出版された。
これは作者原稿から直に起こされた善本で、単純な植字工、校訂者
のミスと思われる点を除けばほぼ問題ない。
(4) 種本となった作品
『ジュリアス・シーザー』同様、プルタークの『対比列伝(英雄伝)』
を素材としている。福田恆存氏は新潮文庫『アントニーとクレオパトラ』
解題で『アントニーとクレオパトラ』は『ジュリアス・シーザー』同様
プルタークを「綿密に追っている」と書き、ウィルソンを筆頭とする大
部分のシェイクスピア学者の主張に異を唱えている。その主張というの
は『アントニーとクレオパトラ』は『ジュリアス・シーザー』ほど厳密
にプルタークを踏襲してはいないというものだが、それくらいは両者を
比較すれば分かりそうなもので、なぜそれほどはっきりと否定できるよ
うな言説が広く受け入れられるのか、あるいは主観の問題ではないのか
と、疑問が残る。
(5) 雰囲気・テーマ・思想
彼はただ「史実」にしたがって「写実」したまでである。
主観を排除すること自体がひとつの意志、ひとつの主観である。
※原稿断絶