※ここではシェイクスピアの作品のうち、新潮文庫に収録された作
品を中心に、同文庫の「解題」「解説」を参考に製作年代、当時の
出版事情と定本、製作の種本となった他の作品、および各作品の雰
囲気、テーマ、込められた思想などについてまとめる。
9. 『ロミオとジュリエット』
(1) 概観
日本においては、恐らくシェイクスピア作品中もっとも広く知られ
た作品であろう。詩的情緒に溢れる美しい作品であり、実際にソネッ
ト形式になったセリフが多く在る。習作期の末に書かれた作品で、未
だ形式に捕らわれた部分は強いものの、才能が円熟してきたことを遺
憾なく示していると言えよう。この劇によってシェイクスピアは劇団
の第一人者たる地位を確立したと言われる。運命が人間を束縛すると
いう概念を明確に示した作品である。
(2) 作劇年代
最初の四折本(海賊版)が1597年に出版されているので、それ以前
ということになる。シェイクスピアは1594年末に侍従長(Lord Chamberlain
侍従卿とも)劇団所属になるが、この第一四折本の銘は、侍従長劇団と
書かずに「ハンスドン卿お抱え一座によって再三上演せられ、大好評を
博せしもの」と書いている。ハンスドン卿はエリザベス朝で親子二代に
わたって侍従長を務めたが、実は親が没してから子が同じ地位を受ける
までの1596年7月〜1597年4月の間ハンスドン卿は侍従長の地位を
失っており、シェイクスピアの所属する劇団が「ハンスドン卿劇団」を
名乗らねばならなかったのも、この期間である。そこでこの期間に上演
がなされたという結論が導かれるが、それが初公演だという確証はなく、
むしろもう少し前に完成していたであろうという結論が導かれる。むし
ろ出版時に侍従長劇団がハンスドン卿劇団に変わっていれば、たとえ上
演した頃は侍従長劇団を名乗っていたとしても、出版時には「(過去の
侍従長劇団、現在の)ハンスドン卿劇団によって・・・」となるのでは
ないだろうか。
最も早い説は劇中の乳母の言葉「あの地震がございましたっけが、
あれからちょうど十一年になりますんでね」を内証とし、この地震を
1580年にイングランドを襲った地震の事であると考えて、その11
N後の1591年に書かれ、上演されたと考えるものである。しかし、ま
ず乳母が語る地震が現実の地震を考えて書いたかどうか疑問であるし、
考えていたとしても実際の地震はイングランドで舞台はヴェロナ、しか
も劇中の日付と実際の日付が一致するかどうかも定かではない。エリザ
ベス朝演劇の作劇習慣を一通り調べなければ何とも言えない面もあるが、
やはり学者の間でもほとんど顧みられることはないらしい。むしろ当時
の本作に言及したと思われるバラードや格言らしく書かれた言説を注意
深く調べると、1596年より少し前、1595年頃という推定が成り立つ。
また、文体等の内証によっても習作期の終わり頃に書かれたと考える
のが自然らしい。新潮文庫『ロミオとジュリエット』解説で中野好夫氏
が具体的に提示しているのは、まず明らかに不自然な長口上(ロミオが
ジュリエットを褒め称える言葉の数々、二人の愛のささやき合い、ある
いはロミオの親友マキューシオの奇想天外な妄想漫談など)が多く、次
にはペトラルカ風、ないしはイギリス風ソネットの形式を守った押韻や
撞着語法(主にジュリエットと出会う前の、ロザラインに恋いこがれる
ロミオの台詞「鉛の羽毛、輝く煙、冷たい火、病める健康」など)の多
用、第三にロマネスク芸術的な劇空間のシンメトリー(最初の場面、モ
ンタギュー・キュピレット両家の下僕が二人ずつ現れ、両家の血縁一人
ずつが現れ、騒ぎが大きくなる中両家の家長夫妻が現れ、さらに家長は
両名ともいきり立つも、妻は両名とも諫めにまわり、最後に頂点に位置
する領主が登場するなど)が堅苦しく守られていること等である。未だ
劇に特化されず叙情詩的な要素が多く、また形式を乗り越えた自由な采
配が見られない。(中野氏は本作の文体上の特色を五項目に分けて指摘
しているが、その分け方の意図を掴みかねたので、自分の判断で項目を
大幅に切り直したことをお断りしておく)しかし深まる円熟の度合いを
見せていることから、習作時代末期の作品ではないかという結論が導か
れる。以上を総合して中野氏、福田恆存氏、ドーバー・ウィルソンの三
名の意見は1594年〜1595年という線で一致している。
(3) 出版事情・定本
古刊本としては第一〜第五四折本と第一二折本があり、第一・第二・
第三四折本は作者生前、第五四折本は第一二折本より後の作者死後に刊
行されている。第四四折本は年代不詳らしい。このうち第一四折本は海
賊版、第二四折本は作者自身の自筆原稿に、第一四折本以降修正を加え
た善本で、あとの四折本は全て前版の再版にすぎない。第一二折本の重
要性は、他の作品と同様である。
(4) 種本となった作品
中野好夫氏によれば、直接にはアーサー・ブルックの物語詩『悲話
ロミュスとジュリエット』が題材と考えて間違いない。そこでそれ以
前のことだが、対立する両家の間に恋が芽生え、やがて悲劇に終わる
というストーリーと、気の進まぬ結婚を回避するために眠り薬を用い
るという趣向の二つが別の流れから生じ、結びつくという過程を経て
いる。まず後者だが、中野好夫氏の解説をそのまま引用する。
(略)……第一の眠り薬による結婚回避の主題は、すでに古く紀元
四世紀頃(?)のエペソスのクセノファネスという文人の物語集に、
アブラコマスとアンチアの悲恋として出ており、次には15世紀のイ
タリア人、サレルノのマスッチオなるものの著した物語集に、シエナ
に起った悲恋物語として再話されているそうである。
次に対立する両家の間に芽生える悲恋だが、それ自体は「世界と共
に広く、歴史と共に古い(ロミオとジュリエット解説 中野好夫)」
ものの、モンターギュとキャピレットという固有名詞を伴うと、いさ
さか目鼻が付くようである。参考にしている中野好夫氏の新潮文庫
『ロミオとジュリエット』解説では「歴史上著名」としているのみで
源流には触れていないが、すくなくともダンテの『神曲・煉獄篇』第
六歌には「モンテッキ・カペルレッティ」の名で登場しているそうで、
宿命の恋をする若者の伝説がこれら両家の争いの物語に挿入されたも
のであるらしい。これが非常に広く人口に膾炙し、あたかも史実であ
るかのように信じられるようになり、しまいには「キリストの贖罪」
というキリスト教の第一主題と結びつけられたという。そう指摘され
るとシェイクスピアの手になる本作でも、序詞役の口上や最終幕のロ
ミオ・ジュリエットの遺体を前にした台詞に贖罪を思わせるイメージ
がちりばめられていることに気付く。
二つの要素が出そろったところで、それらを結合させて初めて物語
化したのは、1530年出版の、イタリア人ルイジ・ダ・ポルタが著し
た『二人の高貴なる恋人の物語』だという。ここで舞台がヴェロナに
なり、ロメオとジュリエッタという名も出そろった。しかしロミオが
息絶える前にジュリエットが覚醒し、僅かな語らいが許されているな
ど、まだ多くの違いがある。
中野好夫氏によれば、この頃からこの主題を扱った作品が俄に増え
るというが、グーテンベルクの活版印刷が需要を生み出したことに帰
結できるか、はたヨーロッパ精神史上に、このような悲劇を求める時
代が訪れたものか、追求すれば興味深い問題だが、ここでは追求を避
ける。とにかく、その内の一つであるイタリア人マッテオ・バンデル
ロの『ノヴェルレ』に収められた作品が、シェイクスピアの作品につ
ながってゆく。この時点でシェイクスピア作品に近づいた点として中
野市が列挙したのは以下の通りである。
1) ロミオがジュリエットに出会う前に、別の女性に恋をするが冷淡にあしらわれる
2) そこでロミオの親友が、別の女性を見ろと勧める
3) ロミオは仮装してキャピレット家に入りこむ
4) ジュリエットの婚約者の名が「パリス伯爵」になる
5) ロミオとジュリエットを結びつける「縄ばしご」という小道具が初めて登場する
6) ジュリエットが眠り薬を飲む場が、一人きりの寝室になる
7) 僧ロレンゾ(シェイクスピア作品のロレンスに対応)から亡命した
ロミオへの使者が、伝染病のために使命を果たせない
8) ジュリエットの乳母というキャラクターが初めて登場する
(ただし乳母にフォールスタフに次ぐほどの喜劇的性格描写を与えたのはシェイクスピアの天才らしい)
バンデルロの作品はフランス人ピエール・ブアトーの手で仏訳され、
『イストワル・トラジーク』に収録されたが、ブアトーは単に仏訳する
のみならず二三の書き換えを施した。ここで初めてジュリエットは覚醒
してロミオの遺体を見出すという、一片の甘さもない最も悲劇的な展開
が用意された。他にロミオの薬の入手先をはっきり薬屋とするなどの改
変が為されたという。
ブアトーの作品はアーサー・ブルックによって韻文訳が、ウィリアム・
ペインターの手で散文訳がなされ、英語に入った。シェイクスピアはこの
両者を読み、ブルックに依拠して本作を書きあげたという。ペインターよ
りブルックを種本としたことについては中野氏が触れているので引用する
が、ペインターも確かに読んでいたという根拠については解説されていな
い。
(略)……即ちその証左は、(一)エスカラス、モンタギュー、僧ジョン、
フリータウン等の固有名詞は、ブルックとシェイクスピアだけに共通する
もので、ペインターでは、これらはそれぞれエスカラ、モンテスキズ、ア
ンセルム、ヴィラ・フランカ等々になっていること。(二)第一幕第二場
で、キュピレットが召使いに招待客の名前を書いて与える趣向は、ブルッ
クにおいてはじめて現れるもので……(略)……(三)ジュリエットの嬰
児時代を語る乳母の饒舌の原型は、とにかくブルックには出ていること。
(四)相当数個所の章句は明らかにブルックの遺響としか思えないという
ことなど(その最も甚しい例は第四幕第三場、ジュリエット服薬前の長独
白に現われる死後の想像であろう)。……(略)
シェイクスピアはこのブルックの作品を種本として本作を作り上げた。
その際シェイクスピアが行った改変として中野氏が指摘するのは、劇の進
行を速めたことと素晴らしい脇役の人物像を生み出したことである。まず
前者だが、ブルックの作品が九ヶ月に渡る物語となっており、その間には
一二ヶ月の新婚生活があるのに対し、シェイクスピアは物語を一週間以下
に縮め、二人の生活はまったく存在しない。これは物語詩を演劇にする上
では巨大な成功であるといえよう。運命の急展開に揉まれてはかなく散っ
た悲恋の物語は強い劇的感動を生み出すと共に、中野氏は指摘していない
が、二人が一夜も共にせず少年と少女のままに逝くことは彼等の若い不器
用を際だたせ、物語に幻想的な雰囲気・透明な美しさを与えていると思わ
れる。(また二人の死が贖罪と重なるならば、その犠牲としては肉の罪を
知らぬ幼き二人の方が相応しいとも言えようか。ちなみにこの改変に伴い
元は冬の場面であったシーンが夏の場面に変更されており、それにも関わ
らず暖炉の火を消すくだりを残してしまうなどのミスが散見される。一方
でシェイクスピアはこの改変に合わせた細部の表現の変更も行っており、
作中にある稲妻、火薬、火といったイメージはシェイクスピアが用意した
ものらしい)
もう一つの脇役だが、具体的にはロミオの親友マキューシオとジュリエッ
トの乳母である。シェイクスピアはフォールスタフをはじめとして、野趣
のある魅力に溢れた人物像をいくつも創造したが、彼等はそのうちの佳作
といえるだろう。マキューシオは色好みのひょっとこ面で、才気煥発、妄
想乱発、活きのいいことこの上なく、その活きのよさは死を目前にしても
衰えることを知らぬばかりか、怪我人を励ますロミオよりもよほど舌の回
りがよい。己の傷を浅いと言われて「井戸よりゃ浅かろうし、教会の戸口
よりゃ狭かろうじゃねえか」とやり返すあたりなど、戦場で拳銃を求めら
れて酒瓶を渡した、あのフォールスタフに通ずるものがあって脱帽である。
もう一人のジュリエットの乳母だが、この人物像も自己省察などとは無縁
の要領を得ない話しぶりに、教養など微塵もない見当はずれの返事のしよ
う、その上貴婦人を気取って淫猥な洒落に眉をひそめたかと思えば、次の
言葉では気に入らないやくざ男をまとめてやっつけると言ってみたり、
ジュリエットやその母に向かって卑猥な軽口は辞さない。美徳と言われる
ような事が一つもない。にも関わらず、この人物を見る者の多くがそのお
おらかな人間性の魅力を認めずにはいられなくなってしまうのだ。マキュー
シオと乳母、この両者を併せたところに、かのシェイクスピアが創造した
人物中の傑作としてハムレットを超える多くの人々に愛されるフォールス
タフが生まれるのではないだろうか。
以上のような経過を辿って、ブルックの作品を種本としたシェイクスピ
アの『ロミオとジュリエット』は誕生した。
(5) 雰囲気・テーマ・思想
本作は悲劇とはいえ四大悲劇とはまったく異質なものである。ロミオも
ジュリエットも、若さ故の性急を除けばその性格に問題は見出されず、ハ
ムレットの如き特筆すべき性格は持っていない。またお互いの事しか眼中
にない二人に、リア王におけるが如き大宇宙への視線が備わっていようは
ずもない。オセローにあるが如き一人の人物の精神的没落もなければ、マ
クベスが感ずる狂気に至るほどの恐怖もない。この悲劇を鑑賞した後に残
るのは問題性であるより、詩的な美の感覚である。そういう点で本作は悲
劇でありながら、むしろ喜劇の『夏の夜の夢』や『お気に召すまま』ある
いは『ヴェニスの商人』最終幕と近似の関係にあることは、一見して明白
であろう。中野氏も同時期に書かれた『夏の夜の夢』と本作が、表裏の関
係にあると述べている。
本作品において悲劇を推進するものは運命であって、主人公達に内在
する性格は悲劇の推進要因としてはいかにも弱いと既に述べた。この運命
に関しては、序詞に始まり劇中でも再三「運命の星」といった形で繰り返
され、強調される。ここでは人智を越えるものが人間を捕らえるというイ
メージがはっきりと描かれており、悲劇は避けようのない問題としてはっ
きり浮上してくる。