I. 基本事項

<社会的背景>

 以上で概観したように、シェイクスピアの作品は彼の生きた時代
背景に依拠している。しかし国際政治は彼の作品のプロットに影響
を与えてはいても、作品の成立に深く関わっているとは言い難い。
むしろ当時の社会状況の方が、シェイクスピア作品成立の背景とし
ては興味深いものがある。ここでは当時のイギリス社会を、その支
配層と被支配層の両面から見ておく。

 まずは被支配層だが、イギリスでは羊毛産業が発達して小資本家
が台頭し、彼らが農民の土地を柵で囲い込み羊の放牧場とする運動
(第一次エンクロージャー・ムーブメント)は法令で禁止されたに
も関わらず広まりを見せて社会問題ともなり、トマス・モア(1478〜
1535 エリザベス一世の父、ヘンリー八世によって刑死)をして
「羊が人を喰う(ユートピア)」と嘆かしめるほどであった。この
羊毛を材料とした毛織物産業で、没落した中小貴族や大地主が地方
の有力者としてのし上がり、エリザベス一世は彼らを治安判事(地
方行政や裁判を担当する無給の名誉職)に任命すると同時にその権
限を強化し、貴族の牽制と王権の強化に役立てた。
 また1492年コロンブスの西インド諸島(北米東海岸の島嶼部)
到達、1498年ヴァスコダ・ガマのカリカット(インド西岸)到達
等によって西回り航路が開けるにつれて国際商取引がヴェニスなど
地中海諸都市の独占でなくなり、アルマダの海戦の結果イギリス・
オランダが大きな部分を占めるようになっていた。政府も財務長官
グレシャムの重商主義・貿易差額主義で商業を重視し、エリザベス
一世崩御も間近の1600年、インドや中国と独占的に商取引を行う
御用商社、東インド会社を設立している。
 以上から浮かび上がる当時のイギリス社会像は、市民や地方有力
者・商人が台頭し、活発に活動する社会というものであろう。なお
もペストの流行があり、新大陸から持ち込まれた梅毒なども恐れら
れた不安の多い時代ではあるが(1620年に始まるヨーロッパの
「全般的危機」には、ロンドン市の人口問題も含まれた)、シェイ
クスピアが商人を主人公とする劇を供給すれば、その需要は充分に
あったと言えよう。シェイクスピア劇の主人公は歴史劇に始まり、
やはり圧倒的に王侯貴族が多いが、それでも商人層を主人公にした
劇は喜劇に『ヴェニスの商人』悲劇に『ロミオとジュリエット』が
あり、またオセロー将軍が仕えるのは商人の都として名高いヴェニ
スである。

 一方の支配者層だが、テューダ朝がばら戦争の後、貴族を抑えて
成立した王朝であったことはシェイクスピア作品の成立条件ではな
かっただろうか。シェイクスピア作品中に貴族の権力闘争を扱った
作品は極めて多い。まずばら戦争前後を扱った作品はすべて貴族の
争い・王位の簒奪を描いている。四大悲劇も『オセロー』を除いて、
『ハムレット』は弟による王位簒奪、『マクベス』は武将による同
じく王位簒奪劇、『リア王』は王族姉妹と結びついたコーンウォー
ル公・アルバニー公・グロスター公らが争う内容であり、最後の作
『あらし』もまた、ミラノ公の弟が簒奪者である。すなわち王とあ
る程度以上対等な貴族・王族の罪深い争いが描かれるのだが、現実
の支配者達がこのような権力闘争を行っている社会でその事を劇を
書けば、作者の命は危うかったであろう。
 実際のエリザベス朝の政治史を紐解けば、女王が寵愛していたエ
セックス伯が「王位を窺った」という罪状で処刑される事件も起き
ており、また同時代の劇作家に筆禍事件を起こした者もいた。しか
し、なおエリザベス朝、つづくステュアート朝はシェイクスピアに
とって創作活動の容易な時代であったと言えるだろう。それはシェ
イクスピアが醜く描き出したような貴族が、もはや古い、消滅しつ
つある貴族像であった事による。
 テューダ朝は成立と同時に、専制機関として名高い星室庁裁判所
(Court of Star Chamber)で政敵を弾圧し、これによってとき
に基本方針から国王に反対する豪族的貴族は姿を消し、代わって常
に王の意向を汲んで仕事の処理に当たる官僚貴族が誕生した。同じ
事はドイツ=スペインでカール五世時代に、フランスではアンリ四
世・ルイ十三世・ルイ十四世時代に起きており、絶対王政−官僚機
構−常備軍の整った絶対主義の時代が訪れていた。このような時代
であればこそ、ばら戦争時代の豪族的貴族の醜い権力争いを通じて
作者が人間を描くことは可能になったといえよう。シェイクスピア
は己の醜態を描かれることを嫌う無数の貴族達に脅かされる代わり
に、絶対的な権力を有するエリザベス一世(後にはジェームズ一世)
に取り入って、その支持を得ればある程度以上の身の安全を確保で
きたのである。シェイクスピアの戯曲が政治イデオロギーを含んで
いるという説は事実としてほぼ認められており、『リチャード三世』
の最終幕でリッチモンド伯ヘンリーが魔性の君主リチャードを倒す
ことでテューダ朝が、また『マクベス』でマクベスが悪逆の君主と
して描かれているのに対し、ステュアート家の先祖バンクォーの気
質が称揚され、その子孫がマクベスに代わる王座を約束されること
でステュアート朝が、それぞれ正当化される仕掛けになっているこ
とが主に指摘されている(その他エリザベス一世の「フォールスタ
フが恋をしたらどうなるか」との下問に答えて『ウィンザーの陽気
な女房達』を書いたことなども挙げ得よう)が、その他に見えない
機能として、王権が弱い時代を血みどろの権力闘争の時代として描
き、その最後に支持された王権による安定した秩序の到来を描くこ
とで、王権神授説とは別の立場から、当時の社会に絶対主義イデオ
ロギーを植え付けていたとも考えられる。(王権神授説が聖性に基
づく主張なのに対し、これは社会の安定というより世俗的な必要か
ら生じる主張といえよう)これを裏付けるように、シェイクスピア
作品で簒奪者はほとんど全て邪悪な存在として書かれている。『リ
チャード三世』や『マクベス』などは、素材とした史実で賢王とさ
れている人すら邪悪な簒奪者に変じているという点を指摘しておこう。