<政治的背景>
まずはシェイクスピアの活躍した時代がどのような時代であった
のかを、簡単に確認する。
シェイクスピアは記録によれば1564年、イギリス南部のストラッ
トフォード・オン・エィヴオンに生を受けた。この時代のイギリス
は、エリザベス一世のもと大英帝国の全盛期を現出せんとしていた。
まず百年戦争とばら戦争の痛手も癒え、テューダ朝は毛織物産業の
発達で台頭した郷紳層と結びつくことでばら戦争で没落した貴族を
抑えた。また中世末以来発達してきた身分制議会は市民層を権力に
取り入れることを可能ならしめ、エリザベス一世は王権を伸張させ
つつ議会との決定的な対立を避ける方針で議会の支持もとりつけた。
同じ頃、イギリスの仇敵フランスはユグノー戦争が終結したばか
りで、新教徒の新王アンリ四世が旧教に改宗すると共に新教を許可
するという政治臭芬々たる玉虫色の施策で国内を纏めるのが精一杯、
マキャヴェリストとして名高い名宰相リシュリューや太陽王ルイ14
世が活躍し始めるには、未だ時間が残されている。
また中世には神聖ローマ帝国と称され強国の一つであったドイツ
は、教皇庁の陰謀による皇帝家の断絶やその後の帝位争奪で公・侯・
伯領の独立性が高まり、1519年帝位についたハプスブルク家のカー
ル五世の統治下に、一時はスペイン、後のオランダ・ベルギー、ナ
ポリ王国、サルディニア島に、広大な新大陸領を領土として周辺国
を恐れさせたが、1517年の『九十五箇条の論題』発表に始まって
ルターが宗教改革時代の口火を切り、宗教対立と政治対立が絡み合
い国土は分裂、各領邦の独立性を認めた上にスペインとドイツの分
割を余儀なくされ、カール五世が嫡子のフェリペにスペイン及びそ
の他の土地を相続させ、弟のフェルディナント一世にはオランダを
除く、領邦林立状態のドイツ領しか与えなかったことで、ドイツは
しばらく歴史の主導権を失う。次にドイツが世界政治に主導的な働
きをし出すのは、三十年戦争後にプロイセン帝国が興隆する17世
紀後半である。
カール五世から広大な領土を受け継いだフェリペ二世統治下の
「太陽の沈まぬ帝国」スペインは、ヨーロッパの銀価格を激変させ
るほどの銀を産したポトシ銀山を含む新大陸の富で『無敵艦隊』を
建造し、当時ヨーロッパを震撼させていたオスマン帝国の艦隊を
1571年に撃破した。国力の上からも、また新教・旧教の対立(イギ
リスのエリザベスは英国教会を確立し、スペインのフェリペは敬虔
なカトリック教徒)や、エリザベス一世即位の際に廃した前女王メ
アリ一世がフェリペ二世の妻であったことからも、このスペインこ
そがエリザベス朝イギリス最大の敵であったが、オランダ独立戦争
に際してエリザベスはオランダを援助、スペインと決裂すると、
1588年アルマダの海戦にてスペイン無敵艦隊を撃破し、これがスペ
イン没落の重要な契機となった。
アルマダの海戦がシェイクスピア24歳の時で、彼が『ヘンリー
六世』三部作を書いたのがその二年後、1590~1592年とされてい
るから、シェイクスピアが活躍した時代には、イギリスは紛れもな
いヨーロッパの一等国になっていたと言って差し支えない。対外緊
張がやや薄れ、文化が華開く土壌は整っていたと言えよう。
なおヨーロッパに隣接する非キリスト教国オスマン・トルコ帝国
は、1571年スペイン艦隊に敗北を喫したとはいえ、ヨーロッパに
対する優位はなおも動かず、ヨーロッパ諸国に脅威を与え続けてい
た。オスマン帝国の最盛期を現出したスレイマン一世の治世は
1520~66年であり、またこの帝国が最盛期を過ぎた後も長く勢力を
保った帝国であった事を考えれば、シェイクスピアの時代にはまだ
まだ健在であったと考えてよい。シェイクスピア作品に時として見
られる「キリスト教国」「キリスト教徒」という表現は、まずはこ
のオスマン帝国を他者として成立した自意識であると考えてよいで
あろう。(オセローの言葉などに「無知なインディアン」というも
う一つの他者が登場するが、この段階ではあくまで「無知」で従順
な奴隷でしかなく、インディアンと呼ばれた人々が白色人種に強い
印象を与えるようになるのは、やはり北米への移民達が原住民と激
しく争うようになる未来の話であろう。また「韃靼人(タタール人)」
という単語も見受けられるが、これは1241年から1480年にかけて
ロシアを支配し、十字軍時代末期にはバグダードを占領しアッバー
ス朝イスラム帝国を滅ぼしたモンゴル帝国についての、過去の記憶
から生じた表現だと考えられる)またオセロー将軍がキプロスにト
ルコ軍を迎え撃つのも、ヴェニスの年若き商人が西に船を走らせる
のも、この東方の大帝国のためであると言える。当時のオスマン帝
国とヨーロッパの力関係を知らないと、シェイクスピア作品を見誤
る恐れがあるので注意が必要である。例えばオセロー将軍の肌が黒
いことは、ときに揶揄の対象となってはいても、決して現代のニグ
ロイドに対するような人種的差別の対象ではなかった。むしろこの
高潔で一本気な軍人がその身に帯びる威厳の、一つの源ともなって
いたかも知れない。この時代に東方的な要素は、未だ力ある異文化
に対する驚嘆を含むものであったのだ。