このレポートのテーマはシェイクスピアだが、シェイクスピアというテーマ
の背後にはその作品のみならず、既に繰り返しなされた膨大な文学・演劇批評、
後の各時代の演出家・劇作家たちによる解釈、政治・歴史・宗教・精神史と関
連させた現代の分析、はた当時の舞台・演劇・その制約と可能性に関する論考、
シェイクスピア自身の個人史、作品の製作年代、作品の下書きとなった過去の
作品の追求等々、まさに無限の世界が拡がっており、ひとつの宇宙を形成して
いるとさえ言い得るであろう。たかだか夏期休暇中のレポートでその内容を深
く追求できるものではない。このレポートを製作するにあたって参照した参考
文献も少数に留まり、シェイクスピアの作品自体、現在新潮社から文庫の形で
出版されている選集十二冊十四作品の他は批評を通じて間接的に知ったり、
ウェブ上で要約を見つけて参照する事しかできなかった。また批評に関しても、
新潮文庫の解題・解説が充実しているのをいいことに、これに多くを頼った。
特に出版事情や定本作成・種本の詮議に関しては、全面的にこれに依拠した。
従ってこのレポート内容については福田恆存氏、中野好夫氏、中村保男氏の意
見に偏したものとなっている可能性が高い。
内容だが、第一章ではシェイクスピアの活躍した時代背景を概観し、シェイ
クスピアの作品と時代背景との関連性に触れ、またシェイクスピア個人の歴史
も確認して次章につなげる。第二章ではシェイクスピアの演劇作品を、時代の
順に少し詳しく見る。同時に各作品の雰囲気、テーマ、込められた思想なども
探る。第三章では第二章で見た各作品の特徴から、シェイクスピアの精神の遍
歴について、資料的な跡付が不十分でいささか無謀なのは承知の上で、想像を
めぐらせてみたい。第四章は付録として、シェイクスピアを和訳で読むとは如
何なる事か、演劇台本を出版物の形で観賞するとはどういうことかを考えてみ
たい。少なくとも大学でレポートをまとめるのであれば、これらのことに無自
覚であってはならない。最後に数少ないながら参考文献と、添付資料をいくら
か付した。併せてご覧いただき、拙筆を補っていただければ幸いである。
本レポート中のシェイクスピア作品の和訳は、『ロミオとジュリエット』に
関しては中野好夫氏の新潮文庫版に、『ヘンリー四世』に関しては岡村俊明氏
の著『シェイクスピアを読む』の中の、氏の和訳の断片を、それ以外の作品の
和訳に関しては福田恆存氏の新潮文庫版(定本にはドーバー・ウィルソン他編
『新シェイクスピア全集』を採用している)を、そのまま借用した。なお本レ
ポート中で用いたシェイクスピア作品の題名は、福田恆存氏の訳を中心にした
新潮文庫『ヴェニスの商人』掲載の「シェイクスピア劇の執筆年代」に用いら
れた題名を用いている。この中には、通常『真夏の夜の夢』と訳すところを
『夏の夜の夢』と訳したものなどもあるので、以下に原題との対応表を掲載し
ておく。
"Henry 、" 『ヘンリー六世』
"Richard 。" 『リチャード三世』
"The Comedy of Errors" 『間違い続き』
"Titus Andronicus" 『タイタス・アンドロニカス』
"The Taming of the Shrew" 『じゃじゃ馬ならし』
"King Jhon" 『ジョン王』
"The Two Gentlemen of Verona" 『ヴェローナの二紳士』
"Love's Labour's Lost" 『恋の骨折損』
"Romeo and Juliet" 『ロミオとジュリエット』
"Richard " 『リチャード二世』
"A Midsummer-Night's Dream" 『夏の夜の夢』
"The Merchant of Venice" 『ヴェニスの商人』
"Henry 「" 『ヘンリー四世』
"Much Ado about Nothing" 『空騒ぎ』
"Henry 」" 『ヘンリー五世』
"Julius Caesar" 『ジュリアスシーザー』
"As You Like It" 『お気に召すまま』
"The Merry Wives of Windsor" 『ウィンザーの陽気な女房たち』
"Hamlet" 『ハムレット』
"Troilus and Cressida" 『トロイラスとクレシダ』
"Twelfth Night" 『十二夜』
"All's Well That Ends Well" 『末よければ総てよし』
"Macbeth" 『マクベス』
"Othello" 『オセロー』
"Measure for Measure" 『目には目を』
"King Lear" 『リア王』
"Anthony and Cleopatra" 『アントニーとクレオパトラ』
"Coriolanus" 『コリオレイナス』
"Timon of Athens" 『アセンズのタイモン』
"Pericles" 『ペリクリーズ』
"Cymbeline" 『シンベリン』
"The Winter's Tale" 『冬物語』
"The Tempest" 『あらし』
なお、貴族の官僚化や絶対主義イデオロギーと絡めて書いた項に
関しては、参考文献として目を通した岡村俊明氏の『シェイクスピ
アを読む』に別な見方が示されていたことを記しておきたい。氏は
シェイクスピアが史劇で扱った時代が、いずれも王位をめぐって混
乱した時代であったことを指摘し、またエリザベス朝がエリザベス
女王の独身によって、次代の王位継承をめぐる緊張のあった不安定
な次代であったと規定、シェイクスピアは時代の切実な問題を演劇
の題材に選んだと論じている。王位継承がその時代の深刻な問題だ
からといって、それを己の芸術のテーマとするような現代芸術家の
如き精神構造をシェイクスピアが持っていたかどうかはいささか疑
問のように思われるが、エリザベス朝が貴族の官僚化によって安定
した時代だったのか、それともエリザベス処女王の世継ぎ問題で不
安定な時代であったのか、その点は歴史研究によって煮詰めるべき
問題であろう。それをここで敢えて追求出来なかったのは、私の能
力の限界である。この手の事はレポートの至る所に見出されようが、
まずは自分で気付いた点に関して指摘しておきたい。