以上、アイデンティティという概念を二つに分類する事によって現実の社会を
認識し、また議論上の困難や危険な言説を排除する試みを展開してきたが、最
後に新しい視点を導入し、アイデンティティ概念を更に詳細に分析する試みに
着手してみよう。
消費社会論によれば、消費社会においては財の消費と自己確立が関係する。こ
こでは個人アイデンティティは生産・消費の在り方、経済的在り方によっても
影響を受けている。それに対し本レポートがこれまで論じてきた集団アイデン
ティティは、それが政治的集団への帰属から生じるものであれば政治的側面が
強いし、企業への所属は経済的な側面をも持つかも知れない。また個人アイデ
ンティティの「底」としての個人の個人としての成熟は哲学的側面を持ってい
るようであり、家族への所属などは政治的とも経済的とも哲学的とも表現でき
ない、情緒的な部分が目立つ。個人アイデンティティは集団アイデンティティ
と個人アイデンティティの「底」以外にも、このような要素を分けて考えるこ
とができるかも知れない。(*15)
このうち経済的アイデンティティに着目して論じてみよう。松原隆一郎氏によ
れば(*16)消費社会の有り様は、第一に消費の為される場が対面的か公開的
か、第二に財の選択が社会的に共有された価値観に沿って為されるか、そのよ
うな価値観からある程度独立して為されるかという二つの基準から四つに分類
できるという。そして歴史的には(地域ごとの違いはあるものの)消費が対面
的な場で社会的価値に同調して為される状態から、公開的な場で社会的価値に
同調して為される状態へ、さらに公開的な場で消費が為されるが社会的価値に
は同調しない状態、そして対面的な場で社会的価値に同調しない消費が為され
る状態へと移行してきているという。(*17)
この4類型のうち、恐らく公開的な場で社会的価値に同調して消費が為される
とき、経済的アイデンティティが政治的アイデンティティと一致する。すなわ
ち松原氏は本格的に消費社会が到来した当時の、階級差の存在を前提として、
より高い階級の人々が消費する財を、より低い階級の人々が自分も消費するこ
とによって、一段階高い階級に属する者として認識されようと努力する状況を
「階級型・競争資本主義」と名付け、また階級差が解消されて中産階級が台頭
し、生産者がマーケティングによってアピールする「人並みの消費=スタンダー
ドパッケージ」を誰もが追求する状態を「操作型・産業資本主義」と称し、こ
の二つの段階を公開的な場で社会的価値に同調して消費が為される状況と捉え
るが、このとき人々の属する社会集団は消費財の内容によって決まる点で非常
に経済的な側面が強い一方、それが「ジェントリー階級」「典型的アメリカ人」
といった政治的社会集団への帰属を意味するという点では政治的な側面が強く、
ここで政治的アイデンティティと経済的アイデンティティが一致していると考
えられる。これが次の段階に進むと、他者との差異化を通じた「自分探し」が
消費の目標となり、消費を通じて自己を確立せんとする点では経済的アイデン
ティティが重要な役割を果たしている事は明らかながら、それは政治的社会集
団への帰属は意味しない。
先進国社会におけるアイデンティティの現状については、第三章で都市論など
を参考に論じたが、先進国のアイデンティティ状況の分析においては、このよ
うな経済的側面も視野に入れて展開すれば、より多くのことが整合的に説明で
きるかも知れない。