*1) 非場所的現代都市の代表としての日本の首都・東京には注目することになろう。
ただ、その記述が不意に神戸の新興住宅地に飛んだとしても、両者が場所を超越して
連続した町並みであれば、それは同一の都市の隣接した街区について論じるのと何ら
変わらないということである。また、具体的な都市の観察よりも、既に行った観察か
ら思索を推し進めることが本レポートの目指すところであるという事情、都市論と
いっても特定の都市にばかり注目せずに日本の国土全体の変容も論の中に盛り込まざ
るを得ないといった事情もあって、特定の都市をテーマには選ばなかった。
なお、本レポートはテーマに特定の都市は選ばないが、特定の国・日本はテーマとし
ている。これは完全に筆者の直感でしかないのだが、日本は欧米と比較したとき、非
場所性の最先端を走っているように感じるのだが、いかがであろうか。
*2) 講義において紹介された『攻殻機動隊』においても、変化の拒否がひとつの病理
の源泉として描かれている。すなわち身体を交換可能なものと考える草薙素子は、第
一巻結末において自己の絶対性を放棄し他者と融合・変化することで新たな可能性を
見出す。逆に言えば、身体を交換可能なものと捉える現代の病的な都市民とは、自己
を絶対視し変化を拒絶するのである。(この主題は映画『GHOST IN THE SHELL』
において、より明確に押し出される)
なお、個人主義と変化の拒絶・成熟の拒否は、おそらく出産観の変化とも関係する。
すなわち新生児を身ごもるという体験は個人の枠組みを根本的に侵犯するものであり、
その経験を超えることは大きなイニシエーション=変化・成熟である。女性は他者か
ら峻別されるものとしての自己の生活が幼児という他者の侵犯を受ける事を嫌い、既
に善き状態にある若い自分が産児・育児を通じて若くない母になることを恐れる。幼
児と母が個人の枠組みによって絶対的に分かたれた他者ではなく、かつ独身女性とし
ての生活を個人の枠組みと共に永続的・このままで良いものとして考えることがなけ
れば、逆に言えば幼児と母とは一心同体であり、かつ女性はいずれ母となるもので
あったとすれば、産児によるキャリアの中断に関する感覚は違ったものとなろう。
それの善し悪しは別として。
*3) 個人主義はゲマインシャフト的・習俗的組織の構成員がしばしば互いに干渉しあう
ことを嫌い、組織をゲゼルシャフト的に運営せんとする。社会集団は自由意志に基づき
結成され、解散される。ゲマインシャフト的な人間関係を細やかに調整して安定をもた
らす能力は磨かれない。
*4) 自然を開拓し人工的な環境を作る。これもまた都市の思想である。
*5) また、師弟関係といった考え方が嫌われ、その分教員と生徒の間もドライになり
やすい事も関係があろう。生徒と教員の立場の対等化は、恐らく個人主義と関係があ
る。すなわち子供も参政権を持つには至らないとは言え、どこかで既に賢明な個人と
して表象されており、それが故に大人と子供・教員と生徒との間に絶対的な差異が認
められないのである。教師は教え子に示すほどの卓越した人間性は持っていないこと
になる。
*6) ただし東京にゲマインシャフト性・習俗性を代補する集団が存在しなかったのか
どうかは社会史の研究に照らし合わせて検討せねばならないが、残念ながら本レポー
トの及ぶところではない。
*7) 日本の企業は比較的ゲマインシャフト的なのではないかという反論があるかも知れ
ない。現実のところは実証研究を行うべき、ということになるのであろうが、企業が
いくらゲマインシャフト的であろうとも、そこに集まる人々は企業の収益向上という
単純な目標を共有していることが前提とされており、また青年〜壮年労働者のみから
構成されているといった点で、家族よりは遙かに均一性が高く、単純であり、合理的
である。
*8) 機械的なタスク処理者といえばウェーバーが指摘した官僚制を思い描くかも知れ
ないが、官僚制の構成員とはやや異なる、より大きなカテゴリーである。ここには、
たとえば企業家の如き者も含まれる。自ら発案し責任をとる者であれ、上層部の指示
通りにタスクを処理する者であれ、ゲゼルシャフトの運営者を指す概念。
*9) ここに述べた生産・消費の在り方は、環境問題の観点からも大いに問題がある。
*10) 新しくなり続けるものは製品の機能だけではない。パソコンをはじめとする使い
こなすべき道具、社会状況、ものの考え方、価値観、あらゆるものの変化が早くかつ
大規模なのが今日の社会である。これらK・ポランニーが「悪魔のひき臼」と称した
ものが、常に壮年・老人の価値を下げ続ける。ここにおいても成熟は貶められる。
*11) もちろん、人間の肌ではなくものに関しては、そのエッジを鮮明にすることは、
それが何処のブランドの製品かを映し出すことであり、ディテールを映すことと同義
になる。
*12) もっとも、近頃のテレビは顔の輪郭をすでに映しきって、肌理を映す方向に動き
だしているのかも知れない。すると、ここに新しい局面が現れるか。
*13) 他の街へのアクセスがよいなどという程度のことではいけない。要するに、新たに
設計された街が既存の周囲に対して別世界であってはならないという事である。独立した
領域ではなく、周囲との結節点としての街でなければならない。
<参考文献>
『唯脳論』養老猛 著
漫画『攻殻機動隊』士郎正宗 作
フィルムブック『攻殻機動隊GHOST IN THE SHELL』原作 士郎正宗 監督 押井守
『大転換』カール・ポランニー著 吉沢英成 他訳