NHKのマークが卵形になって久しいが、そのNHKに近頃、ひ
とつ気になる傾向が生じている。そもそもの始めは、あの人気番組
「プロジェクトX」だった。あの番組がヒットして以来、あの番組
で用いられた表現法を踏襲した番組が目に付く。どうやらNHKの
一部が、プロジェクトXの成功を見習えということで同様の表現技
法を使い始めたものらしい。しかし、プロジェクトXが新たに採用
した表現技法には問題があると私は考えている。私も始めは「プロ
ジェクトX」の名を聞くたびに苦々しい思いをするという程度で、
この件を含むメディアの問題はいずれ組織だった形で議論するつも
りでいたのだが、私が強い信頼を寄せる友人たちでさえ、あの番組
については肯定的な感想が多数派を占めるという事実に気づき初め、
同時にNHKの他の番組、特にNHKの名を負う、NHKの主力と
も目される『NHKスペシャル』にまでこの傾向が拡がる現状を見
て、募る危機感から、とにかく時論的な形でもいいから思うところ
を語ろうと思った次第だ。
NHKの新傾向を批判するという事なのだが、まずはナショナリ
ズムの観点から始めてみよう。そもそも、新しく始まる「プロジェ
クトX」という番組について初めて耳にしたとき、そのあまりの鈍
感さに顔をしかめたものである。NHKのホームページにプロジェ
クトXのコーナーがあったので、そこから趣意を説明した文章を引
用してみよう。
「プロジェクトX」は、熱い情熱を抱き、使命感に燃えて、
戦後の画期的な事業を実現させてきた「無名の日本人」を主
人公とする「組織と群像の知られざる物語」である。
今も記憶に新しいあの社会現象、人々の暮らしを劇的に変
えた新製品の開発、日本人の底力を見せ付けた巨大プロジェ
クト…。戦後、日本人は英知を駆使し、個人の力量 を“チー
ムワーク”という形で開花させてきた。戦後日本のエポック
メイキングな出来事の舞台裏には、いったいどのような人々
がいたのか。成功の陰にはどのようなドラマがあり、数々の
障害はいかなる秘策で乗り越えられたのだろうか。
番組では、先達者たちの「挑戦と変革の物語」を描くこと
で、今、再び、新たなチャレンジを迫られている21世紀の
日本人に向け「挑戦への勇気」を伝えたいと考えている。
つまり政治的・経済的に危機を迎えている日本にむけたエールと
いうわけらしいが、なぜ「日本」なのか? と問うてみたい。現在
の世界において危機に直面しているのは日本だけではない。なぜ日
本のみをクローズアップするのだろうか。これは当たり前といえば
当たり前で、他人のことより自分のことが気になるのは当然なのだ
が、「当然な事は良い事だ」とは誰も言うまい。この番組が取り上
げる挑戦者が世界中から取られているのならば、まあナショナリズ
ムの問題は無い。(他の問題はある)その番組を見る人々(の、少
なくとも一部)は世界中の成功者達の物語から勇気を得て、何かを
学び、自分を彼らと重ね合わせ、同じように成功することを夢見る
だろう。だが、なぜかここでは日本人だけが取り上げられて、日本
人の成功物語がいくつも語られる。この番組を見る人が成功者達か
ら勇気を得て、何かを学び、自分を彼らと重ね合わせ、同じように
成功することを夢見る、そこまでは同じだ。が、自分と重ね合わせ
た成功者像には、「日本人の」という但し書きが、勿体ぶってつい
ている。
しかも趣意書には、誇らしげに「日本人の底力」などと書かれて
いる。「人間の底力」と言わず「日本人の底力」と言う以上は、こ
れを書いた者が明確に意識していたか如何を問わず、ここには日本
人への強い注目と、日本人全体が出し切れていない力をもっており、
それを発揮すれば日本人が成功を収めることができるという意識が
強く脈打っている。なぜそんなに日本人を、日本人の成功を、意識
するのか。なぜ他国人は排除されているのか。私はここに、とにか
く日本が経済的に向上してくれれば良いという問題意識を読みとる。
これは大恐慌のさなかでファシズムが世界的な台頭を見せた第二次
世界大戦前夜の状況と酷似している。
私はナショナリズムというだけでここまで執拗な批判はしない。
私もオリンピックを見ていると、日本人選手が栄冠を勝ち取ること
を願ってしまう。私とて分かっていても、日本人が、ないしは日本
が栄光を掴むことを夢見てしまう。ナショナリズムは人間の心理に
深く根を下ろした感情で、人間であれば様々な欲望から逃れ得ない
ように、ナショナリズムも否定しがたい物だ。それが心の内に沸き
上がってしまうのは仕方がない。それを表出する人がいることも、
いちいち目くじらを立てるわけにも行かないから大目に見よう。し
かし、NHKとは何者であろうか。NHKには国民の税金が注がれ
ており、それはただの私企業とは異なる、国家と密接な関係を持つ
報道機関であるということを意味する。当然、対外的には「日本の
声」として、国内的には一つの権威として、問題報道に対する敏感
さと自重というものが求められる。放送内容がナショナリスティッ
クであれば、ちょっとまずいなと思わねばならないのではないだろ
うか。
以上のような次第で、私はナショナリズムを快く思っておらず、
良識あるNHKならばナショナリズムからは距離を置くだろう、と
考えていた。プロジェクトXに関しては、誰かわけの分からない新
人のプロデューサーでも登場したのだろうくらいに考えていた。つ
まり問題を個人の性向に還元していたのだ。ところがその後、意表
をつく事態が起きた。それがNHKスペシャル『日本人遙かな旅』
の登場である。これがまた、かなりきわどい作品だったのだ。日本
人のルーツを探る番組が存在することは、別段おかしい事ではない
と思う。実際に日本人のルーツについては、言語が何語族に属する
かなど謎が多く、私にとっても知的好奇心をくすぐられる話題だ。
が、「日本人」という概念の扱いについては、くれぐれも慎重に
ならなければならない。というのも、「日本人」という概念は、他
の国民国家における国民名と同様に、明治政府が苦心の結果として
創作に成功した、ナショナリズム発現のためのシステムという側面
が強いからだ。それを、この番組は無批判に使ってしまった。番組
のタイトルには「日本人」という言葉が入り、そのオープニング映
像の冒頭で「私達はどこから来たの?」という少女の声が入る。こ
の「国民名」「国民の歴史」「美しい若者」という取り合わせは、
「ドイツ民族」「民族の純化という歴史的使命」「褐色のシャツに
身を固めた鋼の規律を持つ突撃隊のりりしい若者」というナチスド
イツのナショナリズム発揚の道具立てと酷似している。そしてこの
道具立ては、現代の紛争地域におけるプロパガンダの道具立てにも
繰り返し現れている。あの愛らしい少女にはまったく恨みはないの
だが、私がこの映像を如何に禍々しいイメージで捉えたか、お解り
いただけようか。
問題は、この番組が人々の意識にどのような影響を与えるかだ。
私がいくらギョッとしようが吐き気を催そうが、この番組を見た人々
が好ましからぬ影響を受けることがなければ、これは私個人の問題
ということになり、別段ホームページに公開するような事ではない、
ということになる。この番組が人々にどのような影響を与えるか?
私は、タイミングと内容からして、この番組がまさにナショナリズ
ム発揚の装置として働くであろうと感じた。
内容から論じる。番組を詳細に検討し直す暇を持たないため、具
体的に指摘できないのが悔やまれるが、全般に議論が尽くされない
ままに「素晴らしい知恵」が強調されることが多いという印象を受
けた。二、三覚えていることを挙げれば、日本人が世界で最初の土
器を創り出したと番組中で紹介していたが、土器の年代については
異論があり、日本の出土品は炭素年代測定法の数値が、余計に古く
出る傾向があるとの指摘があったように記憶している。いかなる過
程を踏んで、日本の土器は世界最古という結論が出たのか、その点
が定かでないままに、とにかく世界で一番だ、素晴らしい知恵だと
いう話になってしまったように思う。また、「日本人は森を徹底的
に切り開いてしまうのではなく、森と共存する知恵を生み出した」
といった表現が為されていたが、これは日本人が特に優れた知恵を
持っていたというよりは、日本という環境が味方したと考えるべき
ではないだろうか。日本は温帯に属して海山の幸が豊富であったし、
何より稲と、それを育てうる肥沃な土地があった。稲は小麦と違っ
て栄養バランスが極めて良いため、牧畜の必要があまり無かった。
また小麦は同じ畑で作り続ければ収穫が著しく低下する事が産業革
命時代まで問題であったが、(この問題を解決する三圃制、ノー
フォーク農法などが登場するたびに、ヨーロッパに強い対外膨張圧
が生じた)稲はいくら連作を行っても、さほど地味の低下が起こら
ないという優れた特質を持っていた。放牧地や休耕地の確保のため
に、不毛の樹海を切り開く必要のあったヨーロッパ人と比べ、日本
人はそこまで森を切り開く必要はなかったと考えられまいか。この
要素が働いていたとすれば、日本人が森と共存できたのは、日本人
の知恵のおかげではなく、偶然そこにあった温暖な気候と稲のおか
げということになる。あるいは、ヨーロッパの文明が森の存在しな
い地中海の乾燥地帯にひとつの源流を持つことも関係するかも知れ
ない。とにかく、この二つの例に共通するのは、現実の裏付けをな
おざりにして、やたらと日本人の知恵を強調する点だ。
次にタイミングだが、この不況の真っ直中である。日本独自の企
業システムが否定され、日本の政治家は冷めたピザと揶揄され、国
際貢献したと思えば「キャッシュ・ディスペンサー」とあだ名され、
感謝状には名前も載らない。自分達が優れた存在であるという心地
よい囁きかけを、多くの人々が無意識のうちに求めている時なのだ。
その時に、このように際どいドキュメンタリー番組を、権威ある
NHKが放映する。折しも9.11同時多発テロや北朝鮮の不審船
問題で自衛隊の扱いが議論されている時期だ。私はナショナリス
ティックな、根拠のない自負が社会に広まるのは、あまり好ましく
ない事だと思うのだが、どうもNHKの見解は違って、ともかく日
本人を応援しようという方針になっているように思われる。俄には
信じがたいことだが、その信じがたいことが実際起きているように
見えてならない。これが『プロジェクトX』『日本人遙かな旅』と
いう流れから、私が読みとった不安だ。たったの二番組と思うかも
知れないが、前者は今をときめく人気番組、後者はある程度の長期
にわたり博物館と連携して行われた大型企画だ。その存在感は大き
い。
もっとも、ここで一つ視野を拡張しておきたいが、私の信頼する
友人たちの顔を思い描く限り、これらの番組を見る人の全てがこの
ようなナショナリズムに捕らわれているとは考えにくいと思う。あ
る情報が発せられたとして、それが個々人の内部にどのような反応
を引き起こすかは、個人差がある。しかし、一方で私の知るいくつ
かの顔を思い描く限り、それがナショナリズムであると気づきもし
ないままに、ナショナリズムに捕らわれている人もいるという事実
は否定できない。彼らはそのナショナリズムを指摘されて自己の思
考パターンについての認識を深める代わりに、この番組を見ること
で、NHKという権威がナショナリズムを黙認している事実を確認
し、「外国人に負けない日本人」「外国人より優れた日本人」とい
うイメージを蓄積しつつあると私は疑っている。そして現実に沈降
の兆しを見せる日本経済や治安神話についてのフラストレーション
を、これらの物語によって発散しているのではないか。この番組を
見る者が全て国粋主義者だなどという、常識から外れた主張はもと
より私の物ではない。しかし一方で、この番組が旧日本軍やナチス
の欺瞞を見抜けなかった人々、あのプチ国粋主義者達と酷似した精
神性を黙認し、かつ育成しているという可能性については、皆さん
それぞれに検証してみていただきたい。貴方がナショナリスティッ
クな感情とは無縁に見ているからといって、これらの番組を見るす
べての人がナショナリスティックな感情から無縁であると考えては
いけないと私は思う。
NHKなればこそ、私はナショナリズムを強く批判する。NHK
の中枢に親しい友人でもいるなら、私は心の底から言葉を尽くして
彼を説得するだろう。日本の言論界の権威にして、国民の血税に
よって運営される公共放送、NHK。是非とも慎重な番組作りを心
懸けてほしいものである。