人間の行為について考えるなら、全ては価値について語るところから始めね
ばならない。なぜなら、おおよそ行為というもの──人間がおおよそ「さあ、
始めよう」と言って始めるようなすべての営み──は、価値の存在を前提とし
て行われるのだから。ただ何となく行う事、無意識の仕草、惰性で続ける事物
、こうしたものには価値などあまり(少なくとも明確な形では)関係しないだ
ろう。しかし行為を巡る議論、論考においては、まず価値の検討が必要である
。そうでなければ、根本から考えたとは言えない。
そして、実は私がここで論じようとすることとは、全て行為に関することな
のである。なぜなら、我々が論じて意味があるのは、議論を積み結論を出すこ
とで、何かを変える余地がある場合のみである。何も変えようがない、変わら
ないのであれば、それは議論ではなく暇つぶしのお喋りである。(もっとも何
かが変わったか、変わっていないかを見極めることは難しく、一見何も変わっ
ていないように見えても、見えない変化が着実に進行していたりするものだが
)議論の結論に沿って何かを変えることは意図的な行い=行為である。だから
、私がここで論ずるようなことは、全て行為と関係し、従って全て、その前提
に価値に関する論考を要求するのである。