<思想の意味は社会に受容されたとき発生する>

制作日:2003年8月13日


 思想は多く書物の形で纏められるが、その書物が人類社会から永
遠に完全に無視され続けるとしたら、どうであろうか。存在しない
も同然である。あらゆる思想はいくらかの人々によって学ばれ、学
んだ人々の言動を通じて社会に影響を与えてゆく。従って思想の内
容には二つの段階がある。1つは書物に記された内容。通常はこれ
こそが思想の内実・実体・本体であると考えられる。一方、この思
想が社会にどのように受容され、どのような影響を与えたかも、ま
たこの思想の履歴の一部である。むしろ、書物に記された内容は無
視されればそれまでであり存在しないも同然となってしまうのに対
し、その思想が社会に与えた影響は、どう頑張っても存在を否定で
きない。そういう意味で1つの思想の内実・実体は、それが社会に
与えた影響の方であり、単なる説明に過ぎない書物に書かれた内容
の方ではない、とも言えよう。

 思想の意味は、社会に受容されたときに発生する。もちろん、こ
れから受容されるのを待っている記述の中にも、ある程度の意味は
存在している。もしまったく意味が存在しないなら、それがこれか
ら社会に影響を与えるということもあり得ないのだから。しかし、
ここでは思想が社会に受容される、その有様を思想の重要な一部と
して捉えることを提案したいのである。