確かに論理的に正しい命題があったとして、その命題をどう評価
すべきか。
論理的に正しいから、素晴らしい、とは言えない。評価とはある
価値観に基づいて下されるものである。価値観というものは根本的
には論理と無関係であり、かつ多様性がある。価値観は論理と無関
係だから、「論理的である」という論理の尺度と、「素晴らしい」
という価値観の尺度が一致するという保証はない。価値観には多様
性があるから、ある価値観が論理的に正しいことと素晴らしいこと
を直結させたとしても、この直結関係が成り立たないような、別な
価値観が存在しうる。そういうわけで、論理的に正しいことと素晴
らしいことは、まったく直結しない。
論理的であることが必ずしも良い評価と結びつかない状況は、あ
らゆるコミュニケーションの場に見られる。一方、思想という場に
おいては、論理的に正しくなければ意味がない(論理的に正しい事
は素晴らしい)という考えが幅を利かせているように思われる。
しかし、思想という場においても論理的に正しいことを過大評価
してはならない。なぜなら、思想とは1人の人間が世界・社会・他
者と向き合う際の態度・見方・方針であり、人間というものが論理
のみで割り切れない思い・欲求といったものを持つ以上、その人の
世界・社会・他者と向き合う際の態度・見方・方針、つまり思想に、
非論理性が混入することは自然なことだという考え方もできるのだ
から。
つまり、論理的に正しいという事に対する評価は定まらないので
ある。一般には論理的であることを良いことと単純に考える向きも
多いが、論理的であることはコミュニケーションの場においてしば
しば無力だし、論理的に正しい事を追求した思想はしばしば1人の
人間が世界・社会・他者と向き合う際の態度・見方・方針として、
甚だ貧困なのである。