<論理的であるという事の信憑性について>

制作日:2003年8月9日


 「論理的に正しい」と言われる命題があったとして、その命題が
本当に論理的に正しいかどうか、判断するのは人間である。人間は
万能ではなく、しばしば間違いを犯す。従って「論理的に正しい」
ことが、本当に「論理的に正しい」かどうかは、常にいくらかあや
しいところがある。論理学が扱うような単純な命題ならまだしも、
我々が気をつかって論理的に構築したつもりの思想とやらについて
は、その思想を構成する命題の1つをひょいと抜き出して、それが
きちんと論理的に正しいことが証明されているかと問うてみれば、
いくらでも疑問符の付けようはあるものである。

 また、論理的にまったく誤りであるような命題も、適当に論理的
に見えるような外見を与えてやれば、案外論理的に正しい命題とし
てまかり通ってしまう。人々が信じたがるような内容であれば、な
おさらである。

 だから、論理的であろうと努力するのはよいが、論理的に正しい
と言われたからといって、あまり自信過剰にならないことである。
他人の説を攻撃する際に、ここが論理的に誤りだ、と居丈高に攻撃
する人があるが、あれなども論理にしがみついて自信過剰になって
いる人の類である。論理的に詰めが甘い部分があっても、いずれき
ちんと論理的に精緻化される事もあろうし、逆に論理的な弱点が
まったく見つからなくても、それが将来に至るまで論理的に正しい
意見であり続けるかどうかは分からないものである。論理的である
ことを過大評価してはならないし、非論理的だからといって過小評
価することも陥りやすい過ちである。