議論の場としては様々な場があり得るが、どんな場においても、
決して論理的に正しい主張が受け入れられるという保証など無い。
非常に論理的な発言をしても、聞き手がその論理性を理解できない
こともあるし、論理性は理解できても権力者に恐れをなしてその発
言を退けることもある。また、どんな議論の場にも反則技というも
のが存在する。拒否権発動、買収や暴力、でかい声で相手を黙らせ
る、挑発し感情的にさせて滅茶苦茶にしてしまう、等々である。ま
た、いかなる議論の場にも愚か者がいる可能性がある。自分は正し
いと端から信じ込んでおり、相手がどんなに正論を述べ、自分が明
らかに論破されていても、まだ自説を曲げない者。また既に結論の
出た問題を蒸し返し、要領を得ない発言で聞き手を苛立たせ、混乱
させ議論の進行を妨げる者。こうした愚か者に議論が混乱させられ
れば、論理など容易に何処かへ吹き飛んでしまう。また、どのよう
な議論の場にも狡猾な者がいる可能性がある。狡知に長けた者は自
分の無理な要求を通すために、自分の主張を一見論理的に見せかけ、
また愚か者を操って自分の主張を支持させ、反対する者の主張を巧
みに誘導して受け入れがたい主張に仕立て上げてしまう。何より、
論理的に正しい主張というものが誰かによって呈示されるとは限ら
ない。議論に加わる者の全てがろくな意見を出さないという可能性
がある。また、どんなに賢い人間が集まっても、なお論理的に正し
い主張というものが呈示されない可能性がある。どんな状況にも論
理的に正しい唯一の解答がある等という保証は、何処にもないのだ
から。
ところで、この世にある様々な議論の場を全て含む、最大の議論
の場は、人類社会である。人類社会を1つの議論の場と見ることが
できるが、この最大の議論の場も、基本的な性質は既に見た通りで
ある。論理を理解できない聞き手がおり、権力者が圧力をかけてお
り、金や爆弾や核ミサイルや暴動など、あらゆる反則技が行使され
ている。愚か者と狡猾な者が大活躍しており、議論に加わる者全員
が愚か者である可能性や、議論に加わっている者達が充分に賢いに
も関わらず答えが見つからない可能性は排除できない。そしてまた、
この最大の議論の場には、他人の発言を聞いていない者が膨大な数
存在しており、圧倒的多数派を形成している。この多数派が、人の
話を聞いていないから存在しないも同じだと思っていると、一朝事
あれば途端に数の力に訴えてあらゆる反則技を行使する。
問題は、我々はこのような場において、何事かを論じねばならな
いという事である。ナイーブな考えは捨てるべきであろう。正しい
事を言っていれば良いというのは、論理・言論に至上の価値を認め
る者だけに通用する考えである。正しい事を言っても、それを相手
に理解させ納得させなければ仕方がない。たとえ正しい事を述べて
相手を納得させても、まだ納得していない相手はいくらでもいる。
納得しない人の中には、言葉ではいつまで経っても納得しない人々
もいる。納得しないばかりか、反発してナイフを突きつけてくる者
もいかねない。突き出されたナイフを避けることができなければ、
正しい事を言い続けることすらできない。こうした点を忘れないこ
とである。