美術史、とくに19・20世紀の美術史を眺めると、「美の概念
は変化する」という事実に、嫌でも気付かされる。「変化」という
のは正しくない。古い美の形も、時には時代遅れといわれても、そ
の愛好者はいて、滅び去ることは少ない。一度滅び去ったものも、
再び注目され、再発見されることもある。これは「美の変化」では
なく「美の拡張」と言わねばなるまい。 アフリカ美術の発見は
「異文化理解」「他者理解」という側面も持っている。このとき起
きた出来事を検討すると、他者理解の原理とも言うべきものが、見
えてくるかもしれない。以下に軽く検討してみよう。
アフリカ美術についての定着した(いささか陳腐ですらある)形
容は「力強い」に尽きるだろう。ところで、「力強さ」はアフリカ
美術の発見と同時に、初めて発見されたものかといえば、そんなは
ずはない。それ以前から力強さは(日本の平安朝中期のように、一
時的に廃れることはあるにせよ)しばしば人間の美徳として考えら
れている。力強さを評価する価値基準は、元々あったのである。そ
の「力強さ」という概念を、「敢えて形や色をデフォルメした表現
にも、またひとつの力強さがあるではないか」と拡張すると、美の
概念が「力強さ」という類似性を頼りに、ヨーロッパ美術の伝統か
らアフリカ美術に拡張される。かくして他者理解は成立するのであ
る。
他者理解は、常に概念の拡張によって成し遂げられるように思わ
れる。自己との類似性を頼りに、自分の知っている好ましさの概念
を、相手の(今は理解しがたい、野蛮だ、粗野だ、不潔だ、不合理
だと思われるような)性質を包含するように拡張する。すると理解
できないと思っていた他者の行動が理解の射程にはいる。逆に相手
の性質を「意味不明」「明らかに悪質」と決めつければ、他者理解
の望みは絶たれるであろう。
以上のとおり、概念拡張こそは他者理解の原理である、と宣言し
ても良いと思う。