孤独の底に沈む者同士の
最後の交流の手段、それが沈黙である
他者と共有できぬ内面を持ったとき 人は孤独に陥り、孤独を癒すものを求めて そのようなものが存在することを祈って さすらう巡礼と化す。行き先も知らぬまま。 欲する交流の断たれた内面を抱え 彼らはもはや、言葉が虚しいことを知る。 彼らは無用に言葉を浪費することを拒否する。 そして沈黙を始め、風景は消える。夜の訪れの如く。 しかし、二人の沈黙者が出会うとき、 そこにいかなる言葉も、いかなる概念も持たなかったはずの沈黙が、 語り始める。その孤独を、ひそかなささやきで。 ここに新たな地平が開かれる。 その荒涼たる、しかしどこか暖かい風景が 孤独に沈んだ彼らの、最後の安住の地なのであろう。 つまり孤独というのは、荒涼とした沈黙の 砂漠に咲いた一輪の、可憐な花を探す如く。 その、有りとも無しとも知れぬ砂漠の宝石を探す者同士の ふと交わした目配せに潜む意味こそが、 この荒涼たる景色に、唯一の僅かな色彩を施す。 その僅かな色彩を感じ取れる者のみが、 すなわち、沈黙の底でささやく者のみが、 能く孤独の内に居続け得る者達であり、 また孤独に囚われる者達でもある。 なぜなら、その鋭い感性こそが、 他者と共有できぬ内面を形成するのだから。 |