ひとりひとりを丁寧に見れば、

解るはずだ。苦悩に軽重も多寡もないと。


「苦悩」という言葉を用いるとき、
私達は何を思い描くでしょうか。
人間の奥深さは苦悩によって決まると言いますが、
苦悩という言葉を使うとき、
人は大空を仰ぎ、
大地を見晴るかし、
大海の底を見つめ、
そして、何か大きなものを探しているのではないでしょうか。
自分達の見たことのない、自分達の聞いたことのない、
大きな流れ、大きな挑戦、大きな挫折。
すると奥深い人とは、
何か特別な経験をした人々という事になるでしょう。

本当にそうでしょうか。それで良いのでしょうか。

人はそれぞれに身の丈を持っており、
身の丈にあった経験の中で、己を育んでいくものでしょう。
そうであれば、ただの人が特別な経験で特別な人になれるわけはない。
普通の人には普通の経験。深い人には深い経験。
あまりに先を急ぎすぎれば、経験に囚われて己を失ってしまうでしょう。

苦悩とは、経験の大きさには関係なく、
ただ、ある問題に誠実に向き合ったという事。
それを乗り越えようとし、力の限りを尽くしたという事。
そして、身の丈にあった苦悩を乗り越えたとき、
人は、少し大きくなった自分を見出すのでしょう。

今日もまた、小さな人々が苦悩に立ち向かいます。
誠実である限り、誰にでも苦悩はあり得ます。
どんなに小さな人にも、どんなに大きな人にも、
わたしにも、あなたにも。