行人は結局のところ行人でしかない

路上の貧者・病人・死者を置き去りにするような


ただ街を通り過ぎるだけの旅人には、
その街のことは分からないと言います。
その街にある問題に関わるわけにはいかない。
その街に問題があることに、気付くことすらできない。

行人は行人なのです。
貧者がいても病人がいても、彼は立ち止まらない。
目的地に急いでいれば立ち止まることはできないし、
目的地のない彷徨者であれば、
立ち止まることはアイデンティティの放棄につながり、
やはり立ち止まることはできない。

地上にどれだけ悲しみがあろうと、
行人は行くのです。立ち止まることなく。
そのような彼の在り方自体が、
ひとつの悲しみであるとも言えるでしょう。


人生は旅だと言う人がいます。
人生を旅として捉えるとき、私達はやはり行人です。
自分の目的を持って進む行人に、
自分の旅路と重ならないものを慈しむ暇(いとま)はありません。
私達は多かれ少なかれ、そのような部分を持っています。
私達は行人なのです。非情な心の行人なのです。
少なくとも、ある時、ある部分は。
私達は行人なのです。非情な心の行人なのです。

ですから、時には旅路を下りようではありませんか。
貧者、病人、困窮する者達のために。
自分が歩む道だけでなく、他人の歩む道へ。
なぜなら私達には人間が必要なのであり、
私達自身が、貧者・病人なのですから。