あらゆる思索は破綻と更新によってのみ

その正当性を保証される


ある思索によって導かれた理論が、絶対に正しいと保証することは、私達には出来ません。
ただその思索が矛盾によって破綻し、その矛盾を解決する形で更新されることによってのみ、
私達はその思索が「昨日よりもマシになった」という意味で、満足することが出来るのです。

ところで、人間とはひとつの理論であると考えることは出来ないでしょうか。
全ての人は、厳密性の差こそあれ、
皆ひとつの理論体系に従って、判断を下して生きている。
我々は全て、人生上の問題に対して何らかの解を与える理論体系である。
そのように考えるとき、私達という理論の正当性は、
やはり破綻と更新によってのみ、保証されるのです。

私達は消えることのない自己への懐疑を常に抱き続け、
自己の判断が現実を前にして倫理的問題を抱えていると認識し、
その倫理的課題を克服する形で理論に修正を加え、
そうして自己の破綻と更新を幾度も経験することによってのみ、
私達は私達自身が「昨日よりマシになった」という意味で、
はじめて満足できるのです。